
「ある日、賛多弁護士の事務所に、建築会社を営む近藤社長から焦った様子で電話がかかってきました。
近藤社長:いつもお世話になっています。実は、会社というか、従業員のことで相談があるのです。私の会社「近藤建設」に半年前に入社した従業員が、離婚してから養育費を払っていなかったようで、会社に裁判所から給与債権差押命令が届きました。
賛多弁護士:なるほど。でも、たしか過去にもそういうことがありましたよね。その時と同じように対応をすれば良いと思いますが、なにか気になる点がおありですか。
近藤社長:そうなんです。過去にも何度か従業員が、給与の差押えをされたことはあったので同じように対応するつもりで、その従業員に、「給与の一部が差し押さえられたから今月分から振込が減る。」と伝えたところ、「離婚協議で養育費の合意はしたが、公正証書にはしていない。調停も裁判もまだしていないのに差押えられるのはおかしい。ちゃんと全額給与を支払ってほしい。」と主張されまして。情けないことを言っていないで子供の養育費くらいちゃんと払ってくれよと思うのですが、給与の支払いは会社の義務なので後からトラブルになるのも怖くて。
賛多弁護士:まったく、困ったものですね。近藤社長、最近、養育費の支払い確保のために、民法が改正されたことはご存知ですか。
近藤社長:いや、うちは夫婦円満でもうすぐ銀婚式ですからね。関係ないことなので知りませんでした。
賛多弁護士:ご夫婦円満でなによりです。今までは、協議離婚で養育費の取り決めを公正証書にしていなかった場合、家庭裁判所に養育費請求調停の申立てをし、調停調書や審判書等の債務名義をもらってからでないと財産の差押えをすることができませんでした。
近藤社長:うちの従業員が言っていたのはこのことだったのですね。
賛多弁護士:しかし、これでは子供のためのお金なのに実際に支払われるまでかなり時間がかかってしまいます。そこで、養育費の支払い義務を負う父母が、令和8年4月1日以降に発生した養育費を滞納した場合、先取特権という民法の担保権の制度で滞納分について差押えができることになりました。
民法306条(一般の先取特権)
次に掲げる原因によって生じた債権を有する者は、債務者の総財産について先取特権を有する。
・・・
3.子の監護の費用
民法308条の2(子の監護費用の先取特権)
子の監護の費用の先取特権は、次に掲げる義務に係る確定期限の定めのある定期金債権の各期における定期金のうち子の監護に要する費用として相当な額(子の監護に要する標準的な費用その他の事情を勘案して当該定期金により扶養を受けるべき子の数に応じて法務省令で定めるところにより算定した額)について存在する。
・・・
3.第766条及び第766条の3(これらの規定第749条、第771条及び第788条において準用する場合を含む。)の規定による子の監護に関する義務
近藤社長:う~ん、難しい言葉が並んでいますが、つまり、どういうことなのでしょう?
賛多弁護士:要は、令和8年4月1日以降に発生した養育費を支払わなかった場合、調停や判決等で裁判所のお墨付きとなる債務名義がなくても、養育費の取り決めの際に父母間で作成した文書等があれば、養育費を滞納した父母の財産を差し押さえられるようになったということです。
近藤社長:そんな改正がされていたのですね。先取特権とやらで差押えできる金額に上限はあるのでしょうか。
賛多弁護士:当事者間で合意できる養育費の金額には、上限はありません。しかし、先取特権で差し押さえられる養育費の金額は、令和8年現在、法務省令で8万円と決められています。8万円を超える部分は、公正証書を作成していなければ、調停で養育費の請求をして従前どおり債務名義を取らなければなりません。
近藤社長:ちなみに、今回の従業員は離婚協議書で養育費の合意がありますが、そういった合意をしないで離婚した場合でも養育費を先取特権で差し押さえられるのでしょうか。
賛多弁護士:これも令和8年4月1日から施行された民法で、法定養育費が取り入れられ、当事者間で合意がなくても、一定額の養育費が請求できることになりました。ただし、法定養育費の請求ができるのは、令和8年4月1日以降に離婚した夫婦に限られます。
民法766条の3(子の監護に要する費用の分担の定めがない場合の特例)
父母が子の監護に要する費用の分担についての定めをすることなく協議上の離婚をした場合には、父母の一方であって離婚の時から引き続きその子の監護を主として行うものは、他の一方に対し、離婚の日から、次に掲げる日のいずれか早い日までの間、毎月末に、その子の監護に要する費用の分担として、父母の扶養を受けるべき子の最低限度の生活の維持に要する標準的な費用の額その他の事情を勘案して子の数に応じて法務省令で定めるところにより算定した額の支払を請求することができる。
近藤社長:(なんか、いちいち条文が長いな…)要は、父母の合意がなくても養育費の請求ができるようになったということですね。ちなみに法定養育費はいくらですか。
賛多弁護士:現在は、法務省令で2万円と定められています。
近藤社長:従業員の私生活の問題とはいえ、給与が差し押さえられると従業員も興奮して会社に不満をぶつけてくるのでほとほと困っていました。子供のための養育費なのでしっかりと支払うべきと考えて対応してきましたが、法律の根拠があると自信を持って反論できますね。
賛多弁護士:通常は給与債権の四分の一までしか差押えできないのに対して、養育費や婚姻費用の場合は給与の二分の一まで差押えが可能になるので、従業員の反発は強そうですね。まあ、滞納しなければいいだけの話なのですが…。社会的にも、養育費の不払いを許さないという風潮が強くなってきていますし、会社としては、差押命令に従って粛々と対応されれば基本的に問題ありません。
近藤社長:経理担当の社員にも説明しておきます。ありがとうございました。
令和8年4月1日に施行された民法では、子供がいる夫婦の離婚に関して複数の新設・改正がありました。
共同親権がメディアではよく取り上げられましたが、養育費の支払い確保のための制度も新設されています。養育費の取り決めができていない場合や、取り決めがあっても支払われない場合の救済を容易にするために、法定養育費や、先取特権による強制執行が可能になりました。このほかにも、離婚後の財産分与の請求が可能な期間が離婚後2年から5年へ延長される等の変更もされています。
従業員の給与が差し押さえられた場合、会社は、当該従業員に対して、差押えの対象となっている範囲の給与を支払うことが禁止され、差押債権者に直接支払うか、供託をすることになります。
会社とは本来直接関係のない従業員の個人的事情ではありますが、給与債権を差し押さえられた場合は、会社としても迅速に適切な対応をする必要がありますので、あらかじめ対応フローを固めておくことが推奨されます。
執筆:鳥飼総合法律事務所 弁護士 世古 久美子


















