【意味】
朝のうちに、人間として一番大切な「生き方(道)」が理解できたならば、思い残すことはないから、夕方には死んでも悔いはない。
【解説】
人間学は「我が人生を如何に格調高く生きるか?」を学ぶものです。したがってその目的も、名句名言を数多く学ぶことでなく、欲望誘惑に流されないで如何なる水準で生きるかということになります。
江戸時代の俗諺に「武士は食わねど高楊枝」とあります。空腹にもかかわらずわざと楊枝を使い、武士の体面品位を保つことを表した言葉です。一方掲句の「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」も似たような句ですが、自分の信ずる格調高い生き方が先で、命はその次という姿勢です。
士農工商の頂点に立つ武士が目先の空腹に耐えかねて、その度にあたふたするのでは、下の階級の者に信頼はされません。現代中国では官僚政治家の収賄汚職が問題になっていますが、昔から権限のある者や上に立つ者は、清廉潔白な高貴な生き方が要求されてきました。誘惑の魔の手に陥らないためには、日頃の生き方の水準が重要で、命よりも清廉潔白な生き方を先にしている人物であれば、魔の手から自分を守ることができるのでしょう。
第2次世界大戦後、日本人は戦後70年間を資本主義社会という実利優先の損得社会で生きてきました。それ故に「物としての命」を優先し、「命より派生する心の生き方(人生の水準)」を低く見る傾向があります。別な表現を借りれば、生き方の質よりも物としての命の長さを尊重する傾向が生じ、残念ながら生き方の水準が低下傾向にあるのです。
主宰する読書会に参加する経営者の2代目が、高級車でのデートや高価プレゼントで攻略した才色兼備の婚約者を連れて挨拶に来ました。そして数年後、彼が不安な顔で「妻が自分を見捨てるのではないか?」と心配ですと相談に来ました。
「物で惹きつける魅力は3年、ぼちぼち男の生き様で惹きつけられなければ、見捨てられる可能性も大である」と脅し、手持ち財産を誇る贅沢生活を改め、社員に感謝し謙虚な生き様に改めるように勧めました。お蔭で離婚することもなく立派な企業経営者に成長しました。
企業経営にも生き様が重要です。何等かの拍子で大きく儲ける時があります。すると一流経営者と勘違いをして財布の紐が緩くなり、高級社長車や会社応接間の豪華調度品が目立つようになります。こういう物を「分不相応の持ち物」といいます。肝心の社長の人間器量ができていないから、周りに対して豪華な物で虚勢を張り、自社や社長個人を必要以上に大きく見せようとします。当然そこには無駄使いも生じますし、傲慢な鼻持ちならない経営姿勢が見え隠れするようになります。
掲句の「道」とは、日々の生き様のことです。日々の生活の生き様が驕り高まっていたら人生は危険です。まず虚勢に繋がる豪華な持ち物を点検してみてください。