携帯電話の可能性
日本経済新聞によると、2025年1年間の世界におけるスマートフォンのシェア(出荷ベース)は、米国のアップルが2億4780万台(19.7%)、韓国のサムスンが2億4120万台で激しくトップを競り合っている。3位以下には中国メーカーが続き、日本企業の姿は見る影もない。サムスンの健闘は、移動体通信の将来性に目をつけて、開発途上国に向けた携帯電話輸出に取り組んできた成果でもある。それは、前回見たようにいち早く情報通信網の整備に積極的に取り組んできた韓国政府の見通しの的確さを示している。
家電・電子メーカーのサムスンが移動体通信(携帯電話)の開発に乗り出したのは、1980年代の後半だった。携帯電話とはいえ、1988年にサムソンが発表した製品はレンガほどの大きさだったが、独自の技術で改良を続け、次第に小型化していった。
韓国の携帯市場は、軍事通信技術から発展した米国のモトローラ社が8割のシェアを抑えていたが、筆者がソウル特派員として赴任した1995年には、サムスンが5割のシェアを獲得するまでになっていた。韓国政府も、移動通信方式の改良に取り組み、1996年には世界で初めてデジタル方式のCDMA技術を標準化している。
回線敷設は、日本のNTTにあたるKT、民間のSKテレコムという通信キャリアに任せて開放し、携帯機器メーカーがその回線を利用する携帯電話の開発にあたる。計画は動き出したら速い、あっという間に普及する。韓国方式である。
「海外へは単純機能でいい」という発想で市場を先取り
同じころ、日本ではNTTドコモ技術陣が画期的な携帯通信技術を実用化した。iモードだ。携帯電話を通じてメールの送受信を可能にし、さらにドコモが用意した豊富な専用コンテンツ(ニュース配信、金融情報、旅行予約など)のサイトにアクセスできる。1999年2月に運用が開始される。モバイル(携帯電話)とインターネットをつなぐツールとしてブームとなった。メールに写真を添付することもできる。「写メール」という言葉も生まれた。スマートフォン時代の今では当たり前のことだが、当時国内では一世風靡した。
ドコモは、iモード機能付きの携帯でメーカーとともに世界市場に打って出る。
韓国も携帯電話の巨大な潜在市場を求めて海外進出を図るが、発想が違った。1997年春、韓国政府のキモ入りによる通信技術フェアがソウル市内で開かれた。ターゲットはアジア・アフリカの発展途上国だった。政府の関係者はシンポジウムで途上国政府からの参加者に強調した。
「お国の隅々の家庭まで有線回線を敷設していては金はかかるし、時間もかかる。基地局を整備すれば、誰でもどこからでも電話を掛けられる」
無線電話機能さえあれば十分。「基地局整備には韓国政府が支援できる」という売り込みだ。これに参加者たちからは大きな反響があった。1990年年代末から、発展途上国で韓国携帯が飛ぶように売れはじめた。
技術偏重では真のニーズを見損なう
途上国はおろか、先進国においても、iモードのブームは起きなかった。フランス、英国などでiモードは注目されたが、当時、ネットへのアクセスは、自宅、職場でパソコンを通じて行うもので、屋外で携帯を通じて行う作業とはみなされなかった。コンテンツへのアクセスに別途課金がかかることも嫌われた。結局、モバイルとインターネットの結合は、通信回線の速度が飛躍的に上がるまで待たなければならなかった。
用意されたコンテンツでなくても、パソコン通信同様に自由に高速で既存のサイトにアクセスできる環境、つまり、スマートフォンの登場をもって、高付加価値携帯を売りにしたiモードは姿を消すことになる。
20世紀末の段階でiモードが提示した情報通信の未来像は決して誤っていなかっただろう。だが、「付加価値があれば売れる」という技術偏重の姿勢が、海外市場のニーズ、「いかに安く、都市以外の不便な環境でも安定的に通話ができるか」という途上国での優先ニーズを見落としてしまっていた。
韓国の通信業界も、付加価値を抑えた簡易機能携帯の普及でとどまっていたわけではない。1996年、親交のあったサムソン技術開発畑の友人はこう見通していた。
「いまに手のひらサイズのコンピュータでパソコン並みの作業がいつでもどこででもできることになるよ」。彼らが安価な単機能携帯で切り開いた海外販路に、韓国製で手のひらサイズのコンピュータ(スマートフォン)が売りさばかれているのだ。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com


















