「第二の開国に出遅れるな」
高度情報化が進む世界で、先端技術の有用性を見抜く才と行動力が経営者にとっていかに重要かは前回までに見てきた通りだ。さらに国家指導者の予見力がいかに重大かは言うまでもない。その具体的な姿を1990年代の韓国で、新聞社のソウル特派員としてつぶさに見た。裏返して言うなら、日本が情報化社会のとば口で世界に大きく出遅れた歴史でもある。
1997年秋、筆者は、同年暮れの韓国大統領選挙に出馬の動きを見せていた民主化闘士の金大中(キム・デジュン)野党指導者の事務所を訪ねインタビューした。この秋、韓国は、タイ通貨バーツの急落に端を発したアジア通貨危機の直撃を受けてウォンが暴落し、国際通貨基金(IMF)の介入を招き、「韓国の経済成長は終わった」と国家存亡の危機がささやかれていた。
経済立て直しについての質問に、彼は、「韓国は今、建国以来の危機にあることは間違いない」とした上で力強く答えた。
「視野をもっと広げて考えれば、世界は第二の産業革命ともいえる情報技術革新に向けて動いている。韓国にとっては第二の開国とも言える状況だ。大統領に当選すれば、IMFと密接に協力しながら金融構造を改革し、新時代に向けて、情報通信のインフラ整備に取り組みたい」
軍人政権下で死刑判決を受け不屈の闘志で奇跡の政治的復活を遂げた金大中だが、当選後の第一の政策目標として、「情報技術革命」を据えていることに驚いた。大統領選のキャンペーンでも、「第二の開国に今度こそ出遅れるな」とIT(情報技術)立国を訴えて回った。19世紀後半、日本と同じく欧米列強の開国圧力に直面しながら、産業構造の近代化に出遅れたことで日本の植民地として支配された屈辱の歴史を繰り返してはならないとの歴史観に基づく決意だった。
高速通信網の敷設の驚くべき速度
保守系与党候補を僅差で破り第15代大統領に就任した金大中は、1998年1月の政権発足後、国家戦略として直ちに全国、全世帯を対象とした情報通信網整備に取り掛かる。
韓国では一戸建て住宅の多い日本とは違い、中高層のアパート住まいが主流で、1990年代中盤までにケーブルテレビが広く普及していた。政府がまず取り組んだのは、ケーブルテレビ回線を利用したブロードバンド(高速大容量通信回線)サービスの推進だった。
金大中政権は、国家戦略として「サイバー・コリア21」を発表して、情報インフラ整備に合わせて個人でのパソコン利用の普及にも取り組み、行政サービスを含む電子政府の推進の旗を振った。通信方式も当時最先端の高速ADSLを採用した。その回線がまたたく間に全国津々浦々まで行き渡った。
筆者は、1999年秋から年に2回、日韓の相互理解をテーマに両国の地方都市を会場に持ち回りでシンポジウムを開催し、会場での討議の模様をインターネット回線を通じてネット同時中継を試みた。日本では高速回線の普及は遅々として進まなかったが、韓国の回線整備はすさまじい速度で進んだ。
2000年春に韓国の仁川市のホテルからの中継では、まだADSL回線だったが、その通信速度の速さは、同行した日本人技術スタッフが舌を巻くほどで、「何かの間違いではないか」と驚くほど鮮明な画面で、通信が途切れることもなかった。この時点で日韓の情報インフラの差はすでに「勝負あった」だったのだ。
政府トップは国家経営者の視点を持て
韓国では2000年代に入ると、政府主導でさらに高速で大容量のデータ送信が可能な光ファイバー通信網の全国整備が進み、日韓の情報インフラの格差は広がるばかりとなった。
1990年代から2000年代初めにかけて、日韓両国政府に「情報通信網の整備を急げ」と説いて回った投資ファンド関係者から、2000年春に話を聞いたことがある。
「韓国では、政府の情報通信担当部署の役人は、熱心に話を聞いてくれる。金大中大統領自身も、大筋の話は理解してくれたから、役人も動きやすい。トップダウンでトップの決断は速いから役人も実現に向けて動く。日本では、景気が悪くて予算がつかない、の一点張りで、役人にやる気がない。首相まで話がついているかどうかもわからないから、こちらもアドバイスはやめた。見ていてごらんなさい、10年後、20年後、日本経済は韓国に抜かれてますから」
それから26年が過ぎた。「失われた20年」は、不可抗力ではない。政府トップと取り巻きの幹部たちに国家経営者としての自覚が足りなかっただけのことである。(この項、次回へ続く)
(書き手)宇惠一郎ueichi@nifty.com



















