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マネジメント

挑戦の決断(1) 自分を生かせる新天地へ(野茂英雄)

指導者たる者かくあるべし

 苦渋の選択
 だれでも人生に一度は重大な決断の時を迎える。新たな挑戦に向けて「のるかそるか」の判断にひるむこともある。決断を支えるのはあくまで自分自身に対する信頼だろう。今回からのシリーズでは、成功者と失敗者の決断の岐路を探る。
 
 野茂英雄。1995年に単身米大リーグに挑戦し、2008年の引退まで、〈トルネード(竜巻)〉と名付けられた特異なフォームで通算123勝をあげた日本人大リーガーのパイオニアである。彼が道をつけなければ、今シーズン、最高の投手に贈られるサイ・ヤング賞の候補に上ったダルビッシュ、前田健太両投手や、イチロー、松井秀喜ら野手たちの活躍もないだろう。
 
 渡米後の活躍は不滅の金字塔を打ち立てたが、その名投手の大リーグ行きの決断は、波乱に満ちたものだった。
 
 1994年のシーズンオフ、近鉄バッファローズのエースだった野茂は、日本の野球に絶望していた。1989年のドラフト1位で近鉄に入団した彼は、名監督・仰木彬(おおぎ・あきら)のもとで、デビューシーズンに18勝を挙げると、翌シーズンから17勝、18勝、17勝とコンスタントに勝ち星を重ね、4年連続でパリーグの最多勝を記録した。入団契約に際して野茂が提示した「この投球フォームをいじらないで欲しい」という条件を仰木は受け入れ、調整方法も彼に任せる。それが好成績につながった。
 
 しかし5シーズン目に監督が300勝投手の鈴木啓示に変わると環境は一変する。新監督は精神論の一本槍で、負け試合でも180級は投げさせる。登板のない日もブルペンで投げ込みを強要する。肩の痛みを訴えても、「投げ込みが足りないからだ、痛い時こそ投げ込め」と叱咤した。「俺にはできた、お前もやれ」。鈴木は大投手だっただけに野茂の弱気を許さない。自分に絶対の自信を持つ指導者が陥りがちな後進指導の危険な罠だ。肩の痛みに耐えたこの年、8勝7敗の不甲斐ない成績に終わった。
 
 「これでは潰されてしまう」。野茂は子供の頃から憧れてきた大リーグ行きを考え始める。しかし、日本球界脱出の方法がわからない。
 
 掟破りの非難に耐えて
 そんな野茂に知恵を授けた男がいた。米球界のエージェント、団野村だ。
 
「日本の野球協約に抜け穴がある。任意引退選手になれば、大リーグ球団と契約できる」
 
 当時の野球協約では、任意引退しても復帰するにはもとの球団に限られていた。しかし、米国の球団との契約は想定外で、規定がないという。野茂は、近鉄との翌シーズンの契約で球団が飲めるわけもない複数年10億円をふっかけて決裂させる。してやったりとばかりに任意引退選手となり、大リーグの指名を密かに待った。そしてドジャーズとの契約にこぎつける。
 
 しかし、これが世論のバッシングを巻き起こした。プロ野球界からも、長嶋茂雄、王貞治らが、「やり方がフェアじゃない」と批判の矛先を野茂に向ける。父親までが、「世話になった近鉄に後足で砂をかける真似はよくない」と大リーグ移籍に反対した。
 
 スポーツ評論家たちは、「野茂のような甘い球では、大リーグの打者には通用するわけがない」と笑った。確かにそれまで大リーグに乗り込んで活躍した例は、南海からマイナーリーグに短期の野球留学で派遣され、ひょんなことで大リーグに抜擢された村上雅則(1965年、4勝1敗8セーブ)だけだ。その村上も「二重契約だ」として南海に引き戻されている。何もかも手探りだ。野茂自身も、「もういい、近鉄に戻るから球団との仲介に動いてくれ」とプロ野球の選手会長に弱音を吐くこともあったという。
 
 自ら下した決断への不安を払拭したのは、自分の投球への揺るぎない自信だった。頭に浮かぶのは、社会人野球時代に参加したソウル五輪、プロ野球でのシーズン後の日米親善野球で通用した自分の姿だ。
 「ぼくの球は、大リーグの彼らには打たれない」
 
 未来のプレーヤーのために
 ドジャーズ行きはまさに石もて追われる状況だったのだ。しかし大リーグでのデビューは鮮烈だった。大リーグの強打者相手に、キレのいい速球と落差の大きいフォークボールで三振の山を築く。初年度は13勝6敗、防御率2.54の目を見張る成績を上げ、オールスターゲームの先発投手を任される。そして奪三振236。米国メディアは野茂に、「トルネード」に加えて「ドクターK(三振)」のニックネームを与える。この年、野茂は大リーグの新人賞を受賞し、彼が登板する毎試合、衛星放送で中継され、あれほど野茂にバッシングを加えたスポーツ紙も野茂礼讃に豹変する。その後の活躍は皆さんご存知の通りだ。
 
 挑戦するものは難癖をつけて叩く。叩いたけれど成功すれば褒めそやす。横並び主義の日本ではだ。「米国では違う」―悩みに悩む野茂の背中を押したのは、そんな日本社会への嫌気だったのだろう。
 
 野茂の挑戦とその成功を受けて、サッカーブームに押され気味だった少年野球チームへの入団希望は大きく増えた。引退した彼は、少年たちの野球指導に力を入れている。未来のプレーヤーが自らの夢を自由に実現できるように。
 
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
 
 
 
※参考文献
『野茂英雄 日米の野球をどう変えたか』ロバート・ホワイティング著 松井みどり訳PHP新書
『人を見つけ人を伸ばす』仰木彬、二宮清純著 光文社カッパブックス
 

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