ラテン語の「メメント・モリ」は「死を想え」との訳語が一般に浸透しているようだ。古代ローマからあった思想で、命は永遠ではなく、「死」は必ず訪れるものであると意識して日々を生きよ、との意味になろうか。
この言葉が、はっきりとした形で歴史に姿を現わすのは、シェイクスピア(1564~1616)が書いた史劇『ヘンリー四世』の「第一部」だというから、概念はあっても活字として残るまでにはだいぶ時間がかかったことになる。しかし、今よりも遥かに寿命の短い時代のこと、多くの人々が、体系的、学問的ではなく皮膚感覚で「死」を意識せざるを得ない場面は多かっただろうし、今よりも日常に近い感覚も持っていただろう。
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今の我々は、寿命が延びたことや、「人生100年時代」の言葉の中、なるべく「死」を遠ざけ、見ないようにしている。この感覚の一端にあるのが昨今何かと話題になる「墓じまい」の問題でもある。私自身のことを言えば、特定の宗教や宗派に対する熱心な信仰があるわけではない。ただ、自らが今ここにいるためには、顔を知ろうが知るまいが欠かすことのできなかった先祖の供養、あえて言えば「祖霊信仰」となるが、そのために、春彼岸や秋彼岸、顔を知る人の祥月命日に、菩提寺への墓参を欠かさないぐらいのことだ。
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一くくりに考えることはできないが、仮に今の40代の人々が遺骸を目にし、実際に触れた経験をどの位もっているのだろうか。言うまでもなく、多ければ良いという話ではない。どれだけ「死」を目の当たりにしているのか、の目安だ。親族や親戚だけではなく、近しいお付き合いがあった先輩、友人知人などを含め、その数が10人を超える例は少ないかもしれない。しかし、遺体の冷たさ、固さに触れることで、「死」は身近な感覚になるのも事実だ。大きな哀しみや喪失感を伴うのは当然だが、自らの体験として遺骸に触れることもまた、人生の経験、ないしは教育として欠かすことのできないものだと私は考える。古来より「死穢」の言葉はあるものの、現代の我々は過剰なまでに死穢を恐れすぎてはいないだろうか。
もちろん、こうした不幸な事態を経験する回数が少ないほど、幸せだという考え方もあるだろう。しかし、「死」を一時的に遠ざけ、眼を覆うことはできても、人生のスパンで見れば一時しのぎにしかならない。「可哀そう」「痛ましい」「お気の毒に」「信じられない」…どんな感情でもよい、自分がその場に立ち会うことに大きな意味があるのだ。
にもかかわらず、最近の風潮ではそうした物から極力目を逸らせ、しかもごく簡単に済ませてしまうケースが多い。尤も、これはコロナ禍の影響で、多くの人が一堂に会することによる感染の危険から広がった行動が原因になっていることも多い。しかし、これがいつの間にか手軽な「家族葬」「直葬」などと呼ばれる非常に規模の小さな葬送に取って代わられた。
葬送儀礼には何かと出費も多く、結婚式のように予定が立てられるものではない。そのために、相互扶助制度として「香典」などが存在しており、これは合理的な制度として、多少の違いはあれ日本各地で維持されてきた。しかし、頂いた金額による香典返しの選別や、喪主、あるいは家族には面識のない人々のやり取りに疲れ、簡単な見送りを選ぶ人が増えているのは事実だ。
その一方で、こうした事例も少なくはない。年老いた親を亡くし、家族だけで簡単に葬送を済ませたものの、後になってそれを知った故人の友人、知人から「なぜ、知らせてくれなかったのだ」とお叱りの連絡があり、「せめておまいりに行かせてほしい」との対応に追われ、「こんな事なら、キチンとお葬式をしておくのだった」と嘆くケースだ。我が親とは言え、晩年の衰えた数年間だけに最後の関わりを持つだけで、その間、故人の生活の中でどのような交流があったのかを知ろうともせず、ないがしろにした結果だ。
本人の意識が清明なうちに、苦しむことなく死を迎える、という行為を「尊厳死」と呼ぶ場合が多いようだ。しかし、今挙げた例は、故人の人生という尊敬を払うべき事柄に対して、よほど失礼な尊厳を失する行為ではないか、と私は思う。まして赤の他人ではなく、子供が喪主として親を送るのだ。家族としてよき父、母ではあっても、故人の顔はそれだけではなく、社会的なつながりの中にいたことを忘れているか無視している。
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自分がやがてその生を終わる、というごく当たり前の自然現象だけに目を奪われるのではなく、どうやってこの世とおさらばするのか、に想いをいたすのは、重要なメメント・モリであるはずだ。
仏教絵画の一連の作品に、『九相図(くそうず)』と呼ばれるものがある。野外に打ち捨てられた遺体が朽ち果てる様子を九つの場面に分けて描いたもので、場面ごとに仏教的な意味合いを持つが、詳細を説明するのはここでの目的ではない。奈良時代に既に日本に伝わっていたこの考えと表現方法は、いかにこの世が無常であるかを、今よりも遥かに情報が少ない中で伝える手段だったのだ。中でも最も有名なものは、美人の象徴としても名が挙がる「小野小町」の「九相図」だ。昔の人々が、今の我々よりも遥かに「死」に近い場所に生き、意識していたかがよくわかる。
そこを履き違えて考えている人が、現代には多いのも事実だ。本人の責任でもあろうが、世の中の流れがおかしくなっているのも否定はできない。人間は不老不死でもなければ、いつまでも若いわけではない。多くのことを受け入れ、その時の身体や精神の状態でできることをしながら社会と関わり、生きてゆくのも立派な老い方であり、死の手前の老いを否定することは誰にでもできないのだ。いつまでも若々しいのは結構なことだが、そればかりを目指すのではなく、「死を想う」ことは決して無意味でも不吉でもない。
もう一度、自分の残された時間と向き合うことは必要な行為なのではないだろうか。
















