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人間学・古典

第61回 「女優の出現とその理由」

令和時代の「社長の人間力の磨き方」

 「日ノ本は女ならでは夜の明けぬ国」と昔から言う。意味を深く追求することはしないが、この言葉も、女性の魅力を端的に現わしたものの一つであることは間違いない。女優は、歴史的には古くから女性が自立するための職業の一つであった、と考えることはできるが、昨今、芸能界と一般の世界のコンプライアンスの基準が余りにもかけ離れていることなどもあり、以前ほどの人気はないようだ。昭和期の半ば頃まで使われていた「銀幕のスター」はどこへやら、非常識な部分が多くとも、神秘的で謎めいた憧れも、現実の情報化社会の中で露わになり過ぎたことも、その要因の一つかもしれない。

 さて、この「女優」は、いつ、どのような形で出現したのだろうか。見方によりさまざまだが、最も古い例は日本神話の「天の岩戸」の前で踊った「アメノウズメノミコト」だろうか。一説には、ストリップめいた踊りだったともあるが、いずれにせよ、これで生活を立ていたわけではない。

 

 現実的な話にすれば、江戸初期に、京都の四条河原で始まった「かぶき踊り」の元祖・出雲の阿国を中心とした集団だろうか。島根県・出雲大社で「神」に仕える巫女が、男装で胸には「キリスト教」のクルスを提げ、「念仏踊り」を踊ったという。三つの宗教を股にかけ、それをダンスで表現するとは、いかにもアヴァンギャルドな発想だ。

 阿国たちの家計簿が残っているわけではないので、経済事情を明らかに分析することはできない。しかし、当時はまだ今のように入場料を取って見せる劇場の形式はなく「投げ銭」方式だ。いかに人気でも、それで生活は立たないだろう。初期の歌舞伎が『遊女歌舞伎』と言われるのは、日没後、公演が不可能な時間帯には、自らの身体をひさいでいたからによる。もっとも、こうした例は阿国以前にも散見され、「アルキ巫女」と呼ばれる漂泊の芸能者たちは、夜になると同様の生活を送っていた。

 この歴史をどう考えるかは人によるが、過去の歴史を観る限り、「芸能」と「売春」はあざなえる縄の如きもので、善悪で語られる土俵に乗ったものではなかった。それが変わるきっかけの一つになったのは、「明治維新」を経て海外から近代化の思想が大量に流れ込んだ影響だろう。この時点で、演技を行う女優には高度なインテリジェンスが求められることになった。世間の眼差しにそう違いはなかったにしても、本人たちの意識が変わったのである。

 明治以降の日本初の女優は、日本橋・芳町の芸者だった貞奴(1871~1947)だ。23歳で結婚した川上音二郎は、当時の自由民権運動の活動家であったと同時に、「新派劇の父」とも言われている。多分にトリッキーな行動の多かった人だが、時代を見る眼は持っていたのだろう。1899年には自分の一座を引き連れて渡米し、シカゴ・ボストン・ニューヨークなどで公演を行っている。この時に、現地で病に倒れた女形の代わりに舞踊を見せた、というのが日本初の「女優」の仕事とされている。

 尤も、これには異説があり、現地で踊る予定でいた女形が、アメリカ人に「男性が女性の恰好で踊るなど、グロテスクで受け入れられない」と拒否され、そのピンチヒッターに立ったのが真相だとの説もある。いずれにせよ、これが成功したのは、貞奴が以前から「芸者」という踊りや三味線などの芸を披露して収入を得る表現者としての「プロ」だったからこそだろう。となると、「芸者」をパフォーマーという範囲で見れば、女優の走りと考えることも可能だ。

 帰国後、貞奴は、1908年に渋沢栄一などをスポンサーにして「帝国女優養成所」を開設、女優の育成を開始する。東宝の創始者である事業家の小林一三(1873~1957)が「宝塚少女歌劇団」(現在の「宝塚歌劇団」)を設立するのは、それから6年後の1914年のこと、元号は既に「大正」と変わっていた。

この間に、長野県から出て来た松井須磨子(1886~1919)が1909年に坪内逍遥主宰の「文芸協会」の演劇研究所第1期生となり、11年の第一回公演『ハムレット』のオフィーリアに抜擢され、その好評を受けて次回の公演では『人形の家』のノラを演じるなど、現在、我々が観ている「女優」の道を歩み始めた。

以後、無声映画、ラジオ、舞台への進出など、女優の活躍の場は広がり、その歴史は1世紀を超えた。この1世紀の間に女優を仕事として認知させ、地位を向上させるために有名無名を問わず多くの女性がどれほどの苦労をしたかは察するに余りある。

貞奴が初めてアメリカで芸を披露して100年と少しを経た1995(平成7)年、劇団「文学座」の創立メンバーの一人で昭和期に初代水谷八重子、山田五十鈴と共に「舞台三大女優」と言われた杉村春子(1906~1997)は、女優として初めて、文化・芸術の最高の栄誉、文化勲章の打診を受ける。しかし、杉村は「生涯現役でいたいので」と辞退、翌々年に91歳で現役のままその生涯を終える。

 時代感覚や常識が変わる中、今後の1世紀で女優の姿はどう変わるのだろうか…。

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