古代最大の皇位継承危機
男系男子で皇位が継承されてきたことは、8世紀に成立した「古事記」と「日本書紀」に記されている。戦後、多くの歴史学者によれば、初代の神武天皇から9代の開化天皇までは、機械的に直系男子へ継承されたと書かれており、神武以外は具体的な事績は欠落しており史実性が薄いとされている。
10代崇神以降は、陵墓と伝えられる巨大古墳も存在し、5世紀の16代仁徳以降は、交流のあった中国の史書にも登場し実在性が高いとされる。その皇位継承は、父子、兄弟による直系男子の継承を原則とし、例外的につなぎとして女帝が現れるが、その場合も即位するのは男系女子に限られ、女系の女子が即位することはない。これが不文律的な皇位継承のあり方だった。
だが、一夫多妻の社会ならいざ知らず、今問題になっているように、「男系男子」にこだわる限り、いずれ後継候補の男子が不足し、あるいは枯渇することは道理だ。そうした危機が6世紀初めに起きた。
武烈(25代)が後継男子のないまま亡くなった。さらに仁徳の血を引く皇統男子は一人もいなくなった。古代における皇位継承で最大の危機だ。
継体天皇を越前から招く
あわてた皇室周辺は、皇統を引く後継者探しに走り回る。豪族の大伴金村(おおとも・かなむら)が、越前の三国湊を拠点に勢力を張っていた外交・経済通のオホド王を後継者として朝廷に迎え入れる。「応神天皇の五世の孫」という触れ込みだった。応神から数えて5世代離れている。亡くなった武烈からは10親等離れた遠縁からの起用となった。
オホド王は即位して継体天皇となるが、豪族の一部には血縁の薄さに反発も強かった。日本書紀によれば、継体は即位後20年間、大和の地に入れなかったほどだ。
そこで継体は自らの正統性を強化するために手を打つ。武烈の姉である手白香皇女(たしらかひめみこ)を皇后に迎え、皇室への入り婿としての立場を加えて正統性を強化した。
継体は、越前時代に二人の男子を設けており、二人とも後継者として代を継ぐが、手白香皇女との間に欽明が生まれてからは、皇統争いを避けるため、皇統を欽明の血筋に一本化する。
現在の皇室は、この血統の流れの上にある。継体―欽明の皇統譜は、現在の皇室の原点である。その系譜は後継者断絶の危機から生まれ、そして今、再び大きな危機を迎えつつある。
「国民の理解が得られるように」
繰り返しになるが、今回の皇室典範改正の要点は、男系男子の皇位継承原則はそのままに、旧11宮家の未婚男子を皇族に養子として迎える道を開いたことである。それで皇位継承資格を持つ皇族数が十分に確保されるかどうかは不透明だ。より大胆な発想が必要なのかもしれない。
典範改正を前に、天皇陛下は6月の訪欧前の記者会見で「こうした皇族数の確保のあり方についての議論においても国民の皆さんの理解が得られるものとなることを望んでおります」と異例のお気持ちを述べられている。
国民的議論による国民の総意が今こそ必要なのだ。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考資料
『日本の歴史 1 神話から歴史へ』井上光貞著 中公文庫




















