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挑戦の決断(18) 米百俵の使い道(長岡藩大参事・小林虎三郎)

指導者たる者かくあるべし

 三根山藩から届いた救援米
 戊辰戦争で新政府軍から「朝敵」と見なされた越後の長岡藩は、家老で軍総督の河井継之助(かわい・つぎのすけ)の奮戦もむなしく長岡城を失い、敗北した。継之助は会津へ落ち延びる山中で落命し、藩主・牧野家の側近だった小林虎三郎(こばやし・とらさぶろう)は、藩主を伴っての流浪の末、仙台から長岡に帰郷する。
 虎三郎が眼にしたのは、一面焼け野が原となり荒廃した故郷の惨状だった。米どころでありながら、藩士・領民はみな飢餓線上を彷徨っていた。朝敵の汚名を着せられた悔しさから虎三郎は、長岡再興を心に誓う。藩は新政府への恭順を誓い存続を許されたが、石高は7万4千石から2万4千石へと3分の1に減らされ、さらに苦しくなった。
 敗戦から2年後の明治3年(1969年)5月、窮状を見かねた分家筋の三根山藩(現新潟市)が救援米百俵を送ってきた。
 前年に藩士たちの選挙で藩政を取り仕切る大参事の一人に抜擢された虎三郎のもとに、藩士たちが押しかけ、「届いた米を分配せよ」と直訴する。談判は抜き身を突きつけての鬼気迫るものであったが、虎三郎は断固として要求を突っぱねた。
 「たしかにその日を食い繋ぐことは大事なことだ。しかし私はこの百俵の米をもとにして、学校を建て子供たちを鍛えたいのだ。この百俵は今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか百万俵になるか、はかり知れないものがある。その日暮らしでは長岡は立ち上がれない。新しい日本は生まれないぞ」
 押しかけた藩士たちは迫力に気圧されして賛同せざるを得なかった。
 
 教育こそ未来の力
 虎三郎は百俵の米を売り金に変えた。代金の270両で書籍、備品を買い、城下に国漢字校を開設し子弟の教育にあてた。国漢学校の入学資格は一つだけ。四書五経の素読を終えたもの。今でいえば、〈小学校卒業程度の読み書きができるもの〉だろうか。それなら寺子屋でも手に入る学問の基礎だ。つまり士族の子だけではなく、農民、庶民にも教育を受ける道を開いたことになる。
 さらに同校では、語学、洋学の講座も開いた。新時代を見据えた国際教育にも目を向けている。
 虎三郎が人材の育成に目を向けたのは、若き日に信濃・松代藩の学者・佐久間象山(さくま・しょうざん)の塾生として受けた教育に遡る。象山は儒学に基礎を置きながらも、洋学、語学の重要性を説いた。しかも「攘夷」一辺倒だった幕末の世の雰囲気の中で、象山は〈開国〉を強く訴えていた。欧米列強に対抗するには国を開き、〈和魂洋才〉で生き残るというのが持論であった。
 虎三郎は象山門下で塾頭を務め、後輩として長州の吉田松陰を迎えともに学んでいる。その松陰も長州に帰国後、松下村塾を開き、幕末の志士たちを世に送り出した。
 教育の重要性は骨身に沁みて心得ていた。
 その虎三郎が幕府の開国の方向性が手ぬるいと幕政を批判した咎で、藩主から蟄居謹慎を命じられたことがある。蟄居中の安政5年(1858年)、彼は『興学私議』を書き、次のように教育論を展開している。
〈今日のように日本が欧米列強に押し流されようとしているのは、誰もが学問を怠りなまけているからだ。早急に若者に勉学を奨励し、人材の育成をしなければならない。それにはまず初等教育から。文字を習わせ、儒学の経書を教え、外国についての知識を教授して、児童たちを啓発すべし。さらに優秀なものには江戸で洋学も学ばせる必要がある〉
 象山直伝である。見事に時代を、そして未来を見据えている。
 
 山本五十六に繋がる不戦の努力
 戊辰戦争で敗れた長岡の廃墟を眼にした時、虎三郎の胸に無念の思いがよぎったに違いない。薩長土肥を主体とする新政府軍は、あえて朝敵を探し、対立軸を探して自らの位相を高めようと血眼だった。一つ年上の河井継之助がある意味で山縣有朋の策略で小千谷談判(前回参照)を決裂させられて開戦に踏み切らされたことは悔やんでも悔やみきれなかった。
 河井は、武装中立論を掲げ、仕掛けられたら武力で応じる姿勢だったが、藩内には、先を見据えて朝廷(新政府軍)に恭順の意を示し、不戦を貫くべきだとの論もあった。まさに虎三郎は恭順派だったが、薩長の横暴に対する河井の激昂を抑えることができなかったからである。
 まるで、先の大戦で〈対米開戦無謀論〉を掲げる海軍が、陸軍の〈開戦論〉に対抗できずに敗戦し、国土が焦土と化した歴史と二重写しとなる。その海軍にあって〈対米開戦回避〉の論陣を張った国際派の海軍大将・山本五十六は、長岡出身である。彼が教育を受けた旧制長岡中学こそ、小林虎三郎が未来を見据えて立ち上げた国漢学校の後身なのである。
 山本が、論戦に敗れ連合艦隊司令長官として真珠湾奇襲攻撃を命じた際、河井継之助と小林虎三郎という郷土の英傑二人の無念さを一身で共有していたのは間違いないであろう。
 
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
 
 
 
※参考文献
『米百俵と小林虎三郎』童門冬二、稲川明雄著 東洋経済新報社
『米百俵–小林虎三郎の天命』島宏著 ダイヤモンド社

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