映画『国宝』が描く世界
昨年大ヒットした映画『国宝』によって、歌舞伎の世界に関心を持つ若い世代が増えている。これまで古臭いと思われていた歌舞伎芸への新鮮な理解とともに、古典芸能の世界が持つ技の継承と血筋の葛藤が観客の興味を引いた。
尾上菊五郎、市川團十郎など江戸時代初期から続く歌舞伎の大名跡は、親から子へと血筋によって連綿と芸を繋いできたと理解されている。戦後はほぼそうであるが、芸の能力と血筋が逆転した場合の悲劇を描いて見せたのがこの作品のテーマだ。
戦国時代の末期に新興の演劇として幕を開けた歌舞伎芝居の世界では、当初は一座の中の芸達者が名跡を継いだだろうが、やがて世襲で人気役者の名跡を引き継ぐようになる。映画では、実子がありながら、非血縁の弟子の芸の能力を見込んだ役者が、弟子に名跡を継がせたことから悲劇が始まる。
世襲と子の能力の見極めで悩む親という構図は、現代社会でも幅広い分野で身近に目にする光景だ。親子での事業の世襲相続においても、長男がいいのか、次男がいいのか、あるいは、長女にもらった優秀な婿に会社の将来を任せるべきなのか。
能力か血筋か
芸事の世界は特殊といえば特殊だ。歌舞伎に先立って室町時代に発達した能の世界では、観世流の家でも、一座は親から子、子から孫へと引き継ぐことが通常である。能の世界ではシテ方の家の子は二、三歳から親の元で厳しい稽古を課され、幼くして初舞台を踏んで鍛えられる。
能の宗家であるという「家」で幼いころから鍛えられる環境が芸事の上達に必須であるということだ。さらに囃子方や脇役の役者らを束ねる座の中心として、一座の支持を受けまとめ上げるためにも血統による世襲が最適だとされる。
歌舞伎も次第にこの伝統に従い一座を運用するようになる。さらに歌舞伎世界においては安定的な興行を打つためにタニマチと呼ばれる後援者による世代をまたがった支援を継続的に得るためにも、親子による世襲継承が原則として定着してきた。
ところが、同じく江戸期に一座による興行が定着、発展した人形浄瑠璃(文楽)の世界では、人形、太夫、三味線の三業ともに、名跡は親子、血縁による継承よりも、内弟子の中から能力と人気によって継がれてきた。ジャンルは違うが同じ伝統芸能で芸の能力が問われる落語の世界も同じだ。大相撲の世界も、同じ興行事業で能力が問われるが世襲はない。座の構成単位である部屋の運営権に関わる親方株は、金銭で売買されてきた。
こう考えてくると、歌舞伎の特殊性は、継承される芸の特殊性というよりも、座の興行権における名跡の役割の大きさに由来しているように思われる。資産としての興行権が名跡によって引き継がれていく。オーナー企業の持ち株が親から子へと相続されていくようなものなのだろう。
菊五郎の名跡の危機
歌舞伎の名門とはいえ、血脈を継いでゆくのはなかなかの苦労が伴う。五代目の尾上菊五郎は、九代目市川團十郎と明治時代の歌舞伎界を盛り上げた芸達者だったが、なかなか実子に恵まれなかった。二十代で相次いで養子三人を迎え、最初の養子には2代目菊之助を名乗らせて、将来を期待した。なんとしても名跡を守らないと将来の興行に差し支える。ところが40歳を過ぎて、婚外子ながら実子を授かる。
この子が六代目を襲名することになるが、諦めかけていてからの子だから、溺愛し、将来を期待してきた養子はどうでも良くなくなる。菊之助は五代目と衝突し勘当されてしまう。菊之助は失意のうちに30歳で亡くなる。他の養子二人も離縁され旅役者に身を落とした。まるで老いて秀頼をもうけた秀吉だ。慌てるとこういう事態を招いてしまう。(この項、次回へ続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考資料
『歌舞伎 家と血と藝』中川右介著 講談社学術新書






















