キリシタンの宣教師フランシスコ・ザビエルが最初に日本に上陸したのは天文18年(1549年)、少年徳川家康こと、松平竹千代が今川義元の人質としてさし出された年である。それから信長の時代を中心として、徳川幕府が厳禁するまで、相当の数の宣教師が戦国時代末期の日本に入ってきた。
彼らは九州あたりに体一つで上陸し、ろくな衣服もなく、食料も日本人と同じにしながら、京都まで上って布教しようとした。後世になると、宣教師が殺されたりすると、彼らを送り出した国、いわゆる白人先進国が猛烈に干渉し、武力さえ使うようになるのだが、当時はそんなことはない。殺されたり事故に遭えばそれっきりである。
驚くべき勇気と犠牲心と宗教心である。こうしたキリシタン宣教師はすべてカトリック教会の中の、イエズス会(耶蘇会)という修道会の神父や修道会士であった。
カトリック教会内の修道会というのは、時々誤解されるように宗派ではない。わかりやすい例で言えば、上智大学や南山大学や聖心女子大や、白百合女子大や暁星学園や雙葉学園などはみなカトリック系の学校であるが、経営する修道会は違う。上智大学はイエズス会経営であるが、そこの神父たちはそこの女子修道会の経営する聖心女子大学などにミサをたてに行っている。
そのイエズス会であるが、世界に六億人ぐらいの信者をもっているカトリック教会の中でも、最も有力な修道会と見なされている。その総長はローマにいるが、「黒衣の教皇」とも呼ばれている。本物の教皇は白衣である。
イエズス会はマルテン・ルターの宗教改革が、とどまるところを知らず全ヨーロッパに燎原の火の如く拡大してゆくのをとどめるためにイグナチウス・ロヨラが中心となってイエズス会を結成し、あっという間に宗教改革の火が広まるのをとめてしまった。
カトリックの修道会の数は実に多いが、それらの会には隆盛期とか、あまり流行しなくなった時期とかがあり、消えてしまったのもある。しかしイエズス会は1534年(天文3年)に結成して以来、最も有力な修道会として今日に至っている。その理由はいろいろあるが、五代目の総長クラウディオ・アクアヴィヴァ(1542~1615)のリーダーシップによるところが大きい。
アクアヴィヴァはダルトリ侯爵の末子としてナポリに生まれ25歳の時にイエズス会に入った。生まれつきリーダーになる素質があったと見えて、間もなくナポリやローマのイエズス会管区長に選ばれ、さらに37歳の若さでイエズス会総長、つまり黒衣の教皇になった。
何しろ当時のヨーロッパは、マキアヴェリが描くような教権と政権のからみ合う百鬼夜行の様相を呈している。修道会の中にも叛乱が起こるし、ローマ教皇との軋轢もあるし、皇帝や国王たちとの関係も一筋縄ではいかない。
修道会がばらばらになったり、取り潰されたりする機会は常にあった。スペインのイエズス会はフィリップ二世の支持を受けて叛乱するが、アクアヴィヴァはこれを巧みに抑えこみ、このフィリップ二世と、イエズス会に敵意を持つ教皇シクマトス五世を対立させて漁夫の利を占める。
フランスのごたごたでも巧みにフランスのイエズス会を統制して、アンリ四世の下で不動の立場を獲得する。教皇クレメンス八世と教皇パウル五世の頃に、「イエズス会は異端だ」というドミニコ会からの批判からイエズス会を防ぎ切った。またイエズス会内の教育方針にも恒久的な方針を示した。
かくしてアクアヴィヴァがなくなった時、イエズス会士の数は一万三千人、修道院550、管区15(たとえばイギリスを一管区)を数えるに至り、イエズス会の黄金時代を迎えるのである。
こういう一修道会の話は、それがいかに強力で世界の歴史にかかわっているにしても、普通の日本人には関心がないであろう。しかし誰にでも関係のあるモットーを彼は残した。それは、“suaviter in modo,fortiter in re”というラテン語の一句である。その意味は「態度においては物柔らかに、事においては毅然と」ということであった。
この言葉はたとえば18世紀のイギリスの政治家・外交官として有名なチェスターフィールド伯爵を通じて広く知られるようになった。イギリスの外交官、いな外交官のみならずイギリス紳士一般が、物柔らかな感じを接する人に与える。
しかし外交の中味はしたたかであり、また戦場の指揮官や戦闘者としてはドイツ人に劣るどころか、まして勝っていたのである。チェスターフィールド伯爵は彼の古典的作品となった『息子への手紙』の中でも、何度も何度も「態度においては物柔らかに、事においては毅然と」を人生の指針とするようにと教えた。それはイギリスの伝統にもなった。
ところが戦前の日本の軍人のリーダーたちには、「態度においては傲慢であり、事においては臆病」という例が少なからず見受けられたし、今日の日本の政治家・外交官は「態度において卑屈で、事において腰抜け」という印象を国民に与えることが少なくないのは残念である。日本の教育もアクアヴィヴァの教えを採用すべきであろう。
渡部昇一
〈第13人目 「クラウディオ・アクアヴィヴァ
「イエズス会―世界宣教の旅―」
P・レクリヴァン著
鈴木宣明監修
創元社刊
本体1400円