【意味】
就寝する時には心を空っぽにして、夜間の生気を充分に養うべきである。
【解説】
夜遅くまで原稿を打った日は、頭が冴えてすぐには眠れません。
年齢と共に体の各箇所の調整弁が老化するのかもしれません。
眠れなければ、眠れないことにくよくよしないで机に向かい何かを始めます。
若い時のように睡眠に執着しません。しばらくすると不思議と睡魔が襲ってきますから自然に身を任せます。
どうも「睡魔は天地自然の領域」で、人間の個人領域ではないようです。
眠れないと思うのは心が乱れている証左、
そこに拘れば生気を養うどころか心身の疲れを取らないまま朝を迎えることになってしまいます。
禅の世界では「食べたい時に食べ、眠くなったら眠る」といいますが、
これは何もふしだらな生活を推奨しているのではありません。
規則正しい生活をしていれば、お腹が減る時間も眠くなる時間も一定し、それがいずれ身体のリズムになるということです。
スポーツでも適度な運動は快適な睡眠を呼びますが、過酷なトレーニングはかえって睡眠を妨げます。
ですから、食べたくない時に食べないように、
眠れない時には無理に眠らないようにするのも、健康法の一つなのかも知れません。
生気とは万物が天地自然から受ける元気の素をいいます。
生とは生命の活力、気とは天地自然が万物を生成化育するエネルギー現象です。
夜気も生気の一つで、夜間に天地自然が我々生物に与えてくれる不可思議な力です。
深夜静かに坐禅をし、自然の中に溶け込んでみると、この元気の素が充満してくるのが実感できます。
自然からの元気の素に対して、酒や麻薬などは人工的な元気の素です。
両者には「与えられるもの」と「自ら求めるもの」という違いがあります。
自然界から与えられるものは、総じて我々人間にとってマイナスになるものはありませんが、
どのタイミングや場所で享受するかにより、その効果に大きな違いがあると言われています。
一般的には自然の英気が充満する海岸や山中での瞑想、独りの時間や場所が確保できる早朝や深夜の
坐禅などが良いようですが、修行が進むと通勤途中の電車の中でも充分な気力充実ができるようです。
対して人工的な元気の素は、有害なものも多く求める限度を超すと常習になり中毒を起こすことになります。
天地自然から許されないレベルの欲望には、罰があるのです。
我々が心掛けることは、元気の素である生気をできるだけ享受し、堕落のきっかけになるような欲望は、
できる限り慎むよう規則正しい生活を送ることです。