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- 故事成語に学ぶ(10)薪(たきぎ)を積むが如し(下)
能力だけでは生き残れない宮仕え
漢の武帝の時代、儒教イデオロギーに合わず大臣の地位を追われた直言家の汲黯(きゅうあん)だったが、武帝も彼の政治能力を無視できなかった。彼を政情不安定な地方都市、淮陽(わいよう)の長官として復帰させる。彼は住民に慕われ任務を全うした。しかし「よく治れば中央に呼び返す」との武帝の約束は反故にされ、汲黯は七年間、地方に飼い殺しにされ没した。
この間、汲黯は知人の大臣を通じて、「儒家の側近幹部が、王におべっかを使うばかりで国に大禍をもたらす」と告発したが、知人は握りつぶした。果たしてこの幹部は不祥事で失脚した。だれもが、汲黯と関わることは出世に響くとして避けたのだ。安定期の組織では正しい意見でも「直言」は嫌われる。トップはそのことに気づくのが難しい。部下のおべっかを真に受けて方向を誤る。
気配りの男の出世道
同時代にやはり黄老思想の徒で、大臣にまで上り詰めた鄭荘(ていそう)という男がいた。彼の処世術は汲黯の対極にある。下積みの時代から休みのたびに地方の出先を馬車でたずねては人物に会い接待して労をねぎらった。自らに集まる金銭も惜しみもなく彼らに与えて味方、ファンを増やしていく。こうして信望を高め出世の道をたどる。組織内であれよあれよと上に伸びる野心家の一つの典型だ。周りを見渡せばごろごろいるだろう。
自らは生活を律し、蓄財も好まない。その点は汲黯と同じだが、武帝の近くに仕えるようになって、鄭荘のやり方はまったく違った。彼も宮中に参内すると常に皇帝に面会を求め意見を述べたが、皇帝の政策について異を唱えることはない。優秀な人材を推薦することに専念した。「彼は私より優秀です」。
おべっかも言わぬ代わりに耳に痛いことを言わない。人材推薦は貴重な情報だからトップの機嫌もいい。部下たちも鄭荘に気に入られようと集まってくる。これが彼の力の源泉であった。
二人がたどる同じ道
しかしいい時代は続かない。鄭荘が推薦した財務官僚たちが国家財政に穴を開け、彼もその責任を問われ、下野した。派閥の勢いに任せての人材推薦は、能力主義ではないから当然の結末だ。気配りだけでは危うい。武帝は、彼に同情して地方長官に再任した。数年後、現地で死去した。
気配りの鄭荘だが、結局は直言居士の汲黯と似た末路をたどった。ともに現役時代はボスとして多くの部下たちが頼り集ったが、晩年、権力を失うと人々は去っていった。
司馬遷は対照的な二人を評して言う。
「死生にのぞんではじめて友情がわかり、貧富にのぞんではじめて友情の姿がわかり、貴賎にのぞんではじめて友情がはっきりする」
力があるときに「皆が慕ってくれる」などと、自惚れていては足元をすくわれる。権勢に基づく人間関係などいつの世でもはかないものだ。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『世界文学大系5B 史記★★』司馬遷著、小竹文夫・小竹武夫訳 筑摩書房
『中国古典選22 史記五』田中謙二・一海知義著 朝日新聞社
『中国古典名言事典』諸橋轍次著 講談社学術文庫