中国戦国時代の楚の国に弁論家の江乙(こういつ)が流れてきて宣王の相談役となった。
ある時、江乙は王にこんなことを言う。
「好んで他人の長所を言い立てる者を王はどう思われるでしょう」
「それは君子だ。側近としよう」と王。
「では、他人の悪を言い立てる者はどうでしょう」と聞かれ、「そんな男は遠ざけよう」と答えた。
江乙は畳みかけて言う。「それは王が人を褒めるのを聞くのが好きで、人の悪口を聞くのがお嫌だからですが、危険です。お気をつけられるように」
「なるほど、これからは両方の声を聞くようにしよう」と、江乙の説く逆説にすっかり取り込まれ、その言に耳を傾けるようになった。
宣王には、昭奚恤(しょうけいじゅつ)という評判の宰相がいて、国の北方の守りを堅めていた。人望もあり、あまりの評判に宣王は「王に取って代わろうとするのではないか」と少々不安になってきて、臣下に問う。
「北の国々は昭奚恤をたいそう恐れているというが、事実はどうなのか」
王の心中を測りかねて誰も答えない。江乙が口を開いた。たとえ話を切り出す。
〈ある時、虎が狐を捕らえた。狐が命乞いをして言った。「天帝は私を百獣の王として造られた。私を食べては、天帝の命に逆らうことになります。信じられないというなら私の後ろをついてくれば分かります」。虎は狐の後を歩いてみたが、獣たちは狐を見かけると皆逃げ出した。恐れ入った虎は狐を食べるのをやめた〉
「これは、獣たちが狐を恐れてのことではなく、後に控える虎を恐れて逃げただけのことです。虎がそれに気づかなかったのです」
よく知られる「虎の威を借る狐」の故事だ。
さて江乙は、この話を振っておいて本題を切り出した。「王の領地は五千里四方に及びます。そして精兵百万をみな昭奚恤に預けておられます。北方の国々が彼を恐れるのは、王の軍勢を恐れているのに過ぎません」
王に完全に取り入った江乙は、折に触れて、昭奚恤の悪口を王の耳に入れ、有能な宰相に対する王の評価が下がった。「狐に預けた兵」を取り上げることになるのは必定である。
実はこの江乙は、楚の圧迫を受ける魏の国から送り込まれた男だった。まんまと昭奚恤軍の圧力を取り去ることに成功したのである。
誰もが知る「虎の威を借る狐」の故事の、本当の怖さはここにある。