日露戦争の膨大な戦費調達に動く高橋是清が、公債発行に自信を見せ始めた1904年4月下旬、裏と表でふたつのことが起きていた。
まずは目に見えない裏の動き。ロンドンの金融界では、英国だけでの日本公債の引き受けにいまひとつ踏み切れないでいる。リスク分散のためにも、米国内からの参加が不可欠だと考えていたのだ。
そこへ水面下で米国のユダヤ資本金融グループのクーン・ローブ商会を率いるヤコブ・シフがニューヨークを舞台に動き出していた。公債引受の米国内シンジケートの結成に奔走する。具体的な動きはまだ高橋も知らなかったが、米国資本の動きがカギを握ることは、高橋もロンドン入り前に感じている。
一方、表の動きとは。電撃的な仁川上陸後、ソウルを陥とした日本陸軍は、北上して平壌を占領、さらに満州国境にある鴨緑江に迫っていた。鴨緑江はロシアが既得権を持つ満州地域の防衛線である。
新興国家の日本が大国相手に戦い抜けるのか、ロンドンの金融界も鴨緑江の戦いを試金石として見守っていた。ここで日本に敗色が濃厚となれば、投資する者など出てこない。
4月30日、第一軍は鴨緑江の一点に3個師団4万2,500の兵を集中して渡河作戦を敢行、翌日には対岸の九連城を一気に陥落させた。
5月2日に日本勝利が報じられると、ロンドン市場では低迷していた既発の日本公債価格は週明けの3日から一気に騰勢に転じた。
軍のみならず、高橋にとっても好機到来である。日本の大蔵当局もそう考えた。大蔵大臣名で、ロンドンに暗号電報が打たれる。
「今回の陸戦の勝利は英国民に良好な見通しを与えるだろうから、もう少し有利な公債条件を引き出せないか検討せよ」
欲張っていては機を逸する。高橋の意を受けて林駐英公使が小村外相に即刻打ち返す。
「いまだ、ロシア有利の観測は根強い中で、(鴨緑江での)勝利が公債条件に多大の影響を与えるとは思えません。高橋君は有利な条件を引き出そうと全力を挙げているところ。彼に任せておくべきです」
交渉の外野の欲目から、「もっと」の要求が出るのは常である。しかしタイミング、交渉相手との間合いを最も知るのは現場のネゴシエーターである。任せられると信じて任せたら任せきる度量がトップには必要なのだ。
裏と表の動きが共鳴して、潮は満ちてきている。
シフが画策する米国内の動きを知った高橋は一気に勝負に出る。 (この項、次回に続く)