「上下分離方式」による分割民営化の出発
鉄道発祥の地。英国の鉄道は19世紀に民間の投資で全国を網羅する鉄道ネットワークを築き上げた。第二次大戦後の鉄道需要の落ち込みから労働党政権は、私鉄4社体制から全国一社の国営に切り替えたが、欧州各国に比べて低い電化率や、高速鉄道導入で大きく遅れをとった。それに伴う定時運行率の低さと、国鉄の赤字体質が国にとって大きな負担としてのしかかった。
新自由主義に基づく構造改革を掲げて1980年代に登場した保守党のマーガレット・サッチャー政権は、通信、ガス、電気事業など、公共部門の民営化を成功させ、鉄道の民営化に着手するのも時間の問題だった。
1990年に保守党政権を引き継いだジョン・メージャーは、鉄道の経営効率化に乗り出し、94年、国鉄の分割民営化に乗り出す。首相メージャーは当初、日本が先行して成功しつつあった地域分割による民営化を構想していたが、シンクタンクのアダム・スミス研究所の提言により、「上下分離方式」による分割民営化方針が採用された。公共企業体の民営化の理論として、設備の保有・維持(下)と運営・運行(上)の経営主体を分ける上下分離方式は、経営効率化に有効とされている。英国でもガス・電気事業では成功した実績があった。
日本の国鉄民営化では、線路・施設と運行は不即不離の関係で、切り離すことは経営の一体性を損なうとして、議論の入り口で排除されたものだった。英国では、上下分離を採用したことで、その後に難関にぶち当たることになる。
フランチャイズ方式の理想と現実
上下分離方式では、線路・インフラ部門と、その上を走る旅客・貨物輸送部門を分離する。線路・インフラは、線路保有会社のレールトラックに一元化され、列車運行会社に利用権を貸し付けることになる。英国ではさらに運行主体を地域・路線ごとに運行する会社を入札で募集、決定するフランチャイズ方式を採用した。競争原理の導入によって合理化のアイデアを競わせ、経営の効率化とサービスの向上を目指したが、路線網を細かく分けたフランチャイズ方式が、英国の鉄道経営をさらに複雑にした。
運輸省は、経営会社を募集する路線ごとに、ダイヤ、運賃、政府の補助の大枠を示す。応札する会社はそれぞれに収支計画を示し、国の補助金負担が最も少なくてすむ収支計画を示した会社が選ばれる。フランチャイズ期間はおおむね7年とされ、期間が切れると再入札される。運行に使用する車両は、車両会社からリースされる。
「下」の部分を担うレールトラック社は、保守点検を下請けに出すため、鉄道経営の一体感が損なわれてゆく。
97年に、政府が設定した25の運行会社がすべて決定して、英国鉄道の民営化は達成された。
相次ぐ鉄道事故と民営化の矛盾
民営化による企業努力もあって、2020年のコロナ禍まで、旅客・貨物ともに輸送実績は順調に回復し、国鉄時代に廃線となった地方路線も次々と復活し、民営化は軌道に乗ったかと思われた。しかし、民営化の問題点は、まず下部部門を受け持つレールトラック社で噴き出す。保線作業の下請け企業に対する監督が行き届かず、投資計画も行き詰まる。このため、列車遅延は常態化し、保線作業の手抜きで脱線事故が相ついだ。
2020年10月に東海岸本線のハットフィールドで起きた高速列車の脱線事故(死者4人、負傷者70人)では、亀裂が確認されていたレールが放置されて破断したことが明らかとなり、社会問題化する。この事故の影響で、レールトラック社は2002年に経営破綻し、政府主導の非営利会社に経営が引き継がれた
また、政府による設備の近代化、高速化計画の遅れから、地域によっては、参入会社の収支計画が狂い、経営権を契約期間内に放棄する例も生まれ、入札に応じる会社は次第に減少して、運輸省がつなぎで運行を引き受けざるを得ない路線も生まれている。
民間活力の導入で公営企業の経営効率化を目指すという方向性は間違ってはいないが、民営化の手法によっては、思い通りの効果を得られないという、負の教訓を英国鉄道の民営化は示している。
今、英国の鉄道事業は大きな岐路にさしかかっている。(この項、次回へ続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考資料
『折れたレール イギリス国鉄民営化の失敗』クリスチャン・ウルマー著 ウェッジ社