ハンガリー政府、とりわけ首相のネーメトは、東西冷戦という戦後世界を規定してきた枠組みの終息を目指していた。
ネーメトらハンガリー指導部は、自国が取り込まれている社会主義体制自体がすでに時代遅れだと判断していた。しかし、ハンガリーがオーストリアとの国境を全面的に開放すればどうなるか、冷静な判断が必要だった。
改革派を自認するソ連共産党書記長のゴルバチョフは、軍事介入はためらったとしても、強烈な経済制裁にでることは目に見えている。
ネーメトは、国境フェンス切断に先立つ4月下旬、秘密裏に西ドイツ・ケルン近郊の飛行場に飛ぶ。そして西独首相のコールに会う。
「ハンガリーは、数日内に国境フェンスを切断する。圧力が予想されるが西ドイツはわれわれを支援してくれますか」とネーメトはコールに問う。コールは即座に、「必要な支援はすべて提供する」と決断を下した。
ネーメトはこの極秘会談でコールに行動計画の全容を伝えている。
「まず国境フェンスを切断する。国境の警備は続けつつ、国境の全面開放が近いことを東独国民に期待させる。東独国民がハンガリーに押しかける夏のバカンスシーズンに、われわれはオーストリアとの国境を開放する。その意味はおわかりでしょう」
少し説明がいる。東独では自由化を求める市民の反政府デモが激化しているが、東西ドイツの国境は厳重に管理されている。しかし、バカンスを過ごすためにハンガリーに出国することは可能だ。その大量のバカンス旅行者たちを、国境を全面開放することによってオーストリア経由で西独に亡命させる。
ハンガリーが裏ルートとなって、東西ドイツの壁をぶち壊そうという計画だ。
西独のコールにとっては、ドイツ統一が悲願である。しかし、ナチスの影におびえるフランス、英国などの西欧諸国、さらにソ連も米国も、ドイツ統一は、冷戦が終わろうとも望まない。そこへハンガリーの提案だ。コールの目には「千載一遇」のチャンスだと映った。ネーメトは、収集した情報から、西独は必ず計画に乗ると見ていた。
コールは密かに動き出す。オーストリアとの間で、西独を目指す東独市民のビザなし通行を容認する秘密協定を結ぶ。国内では亡命者たちの受け入れ体制を急ぐ。
そして、潮は満ちた。運命の8月19日がやってくる。小国ハンガリーの根回しで時代は劇的に動くことになる。(次回に続く)