ハンガリーが西隣のオーストリアとの間の鉄条網フェンスを切断、
1956年に起きた民主化運動をソ連軍に叩き潰された経験から、
鉄条網切断の二か月前の3月、ネーメトはモスクワを訪問し、
会談でゴルバチョフは、「現状において、それはできない」
ソ連の主要輸出品の原油の価格は、1980年の1バレルあたり4
「ハンガリーはハンガリーで努力してくれ」。
「では」と、
ネーメト「フェンスを放棄しても、国境警備は続けます。これは、
ゴルバチョフ「うん?」
ネーメト「ゴルバチョフ同志、
ゴルバチョフ「だからハンガリーのことはハンガリーの経済改革でやれと、、、」
ネーメト「修理するにも、
ゴルバチョフ「それは無理だ。そんな資金はない!」
このやりとりで、フェンスを切断してもゴルバチョフは動かないと、
鉄のカーテンは開かれた。
ハンガリーが、冷戦終結に向けた最後の一矢を放つのは、
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
参考文献
『ゴルバチョフが語る冷戦終結の真実と21世紀の危機』山内聡彦
『1989世界を変えた年』マイケル・マイヤー著 早良哲夫訳 作品社
『1989年 現代史最大の転換点を検証する』竹内修司著 平凡社新書
『東欧革命—権力の内側で何が起きたか』三浦元博、山崎博康著 岩波新書