ハンガリーが西隣のオーストリアとの間の鉄条網フェンスを切断、撤去するという挑戦は、東西冷戦に風穴を開ける余りに大胆な行為だったが、社会主義圏の盟主であるソ連の承認、とまでいわなくとも黙認がなければ、できるものではない。
1956年に起きた民主化運動をソ連軍に叩き潰された経験から、ハンガリー指導部は、慎重にことを進めた。首相・ネーメトは、計画実行に先立ってソ連トップのゴルバチョフへの工作を展開していた。直接トップから情報を得ることにしたのだ。
鉄条網切断の二か月前の3月、ネーメトはモスクワを訪問し、ゴルバチョフに国内の金融危機を訴え、援助を要請した。ソ連にそんな余裕がないことは承知の上でのこと。
会談でゴルバチョフは、「現状において、それはできない」と予想通り突っぱねた。
ソ連の主要輸出品の原油の価格は、1980年の1バレルあたり40ドルから、88年には9ドルにまで急落していた。外貨不足の窮地に陥ったゴルバチョフは西側からの外貨借り入れに頼って経済再生を試みたが、資金は利子の支払いで消えていくばかりだ。
「ハンガリーはハンガリーで努力してくれ」。ゴルバチョフは会談で「資金がない」とカネの話に終止した。
「では」と、頃合いを見ていたネーメトは国境フェンス放棄の話を持ち出す。「どういうことだ」と気色ばむゴルバチョフ。
ネーメト「フェンスを放棄しても、国境警備は続けます。これは、それこそカネの話なんです」
ゴルバチョフ「うん?」
ネーメト「ゴルバチョフ同志、警報装置も時代遅れで老朽化したフェンスの維持費用に天文学的な費用がかかります」
ゴルバチョフ「だからハンガリーのことはハンガリーの経済改革でやれと、、、」
ネーメト「修理するにも、ソ連は必要なステンレス鋼の生産を打ち切ったでしょう。西側から資材を買わないといけない。もともと、フェンスはワルシャワ条約機構(NATOに対抗するソ連・東欧の軍事協力機構)のものですから、条約機構が負担すべきです。ハンガリーは維持のために一銭も使うつもりはない」
ゴルバチョフ「それは無理だ。そんな資金はない!」
このやりとりで、フェンスを切断してもゴルバチョフは動かないと、ネーメトは確信した。
鉄のカーテンは開かれた。しかし約束通り国境の警備は続けられた。
ハンガリーが、冷戦終結に向けた最後の一矢を放つのは、まもなくのことだ。(次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
参考文献
『ゴルバチョフが語る冷戦終結の真実と21世紀の危機』山内聡彦・NHK取材班著 NHK出版新書
『1989世界を変えた年』マイケル・マイヤー著 早良哲夫訳 作品社
『1989年 現代史最大の転換点を検証する』竹内修司著 平凡社新書
『東欧革命—権力の内側で何が起きたか』三浦元博、山崎博康著 岩波新書