■「いい温泉」は鮮度が高い
いい温泉の条件は何ですか?――先日、知り合いと温泉の話をしていたら、こんな質問をされた。これは、「いちばん好きな温泉は何ですか?」と同じくらい答えるのがむずかしい質問だ。
なぜなら何をもって、いい温泉と思うかは、人の価値観によって違うからだ。たとえば、多彩な湯船が整然と並ぶスパ風の温泉を好む人もいれば、温泉の質さえよければどんなに施設がボロボロでもかまわないという人もいる。露天風呂がないとがっかりする人もいれば、内湯だけで満足という人もいる。
だから、筆者は「自分の場合は……」と先に断ったうえで、次のように答える。「温泉が新鮮であること」。つまり、温泉が湧出してから湯船に注がれるまでの時間が短ければ短いほど、いい温泉だと思っている。
その理想的なケースが、いわゆる「足元湧出泉」。源泉の真上に湯船がつくられているので、源泉が空気に触れることなく、直接湯船に注がれる。温泉は、空気に触れた瞬間に酸化が始まり、劣化するといわれている。だから、足元湧出泉は、最も鮮度の高い状態の湯を堪能できるのだ。
だからといって、足元湧出泉以外は新鮮ではないかというと、そんなことはない。そもそも足元湧出泉は、全国に100カ所も存在しないし、一定の地域に集中しているので、誰もが気軽に入れるわけではない。普通の温泉でも、足元湧出泉と同じようなクオリティーをもつ湯は少なくない。
■「泡付き湯」の聖地・甲府盆地
では、新鮮かどうかは、どのように見分ければよいか。その基準のひとつが、「入浴中、肌に気泡が付着するかどうか」だ。いわゆる「泡付きの湯」は鮮度が高いケースが多い。
「泡付きの湯」の中にじっと浸かっていると、やがて体中に小さな泡が付き始める。この泡の正体は、温泉に含まれる炭酸ガス。炭酸ガスは、湧出してから時間が経つと、どんどん空気中に抜けていってしまう。ビールやコーラの炭酸が抜けていくのと同じ原理である。だから、気泡が付着するというのは、温泉があまり空気に触れておらず、新鮮だという証拠になる(なお、炭酸ガスは泉温が高いと飛んでしまうので、必ずしも「泡が付着しない=新鮮ではない」というわけではない)。
そんな「泡付きの湯」が密集しているのが山梨県。県内を旅しているとき、5湯連続で「泡付きの湯」に当たったことがある。甲府市内のビジネスホテルの浴場でさえ、泡が付着したのには驚いた。貴重とされる「泡付きの湯」に、こんなに高確率で出合える地域はほとんどないだろう。
なかでも最も泡付きが激しいのが、韮崎旭温泉。甲府市の北西、田畑が広がる風景の中に、ポツンと韮崎旭温泉は立っている。
■体中が気泡に包まれる
男女別の浴場と小さな休憩室があるだけの日帰り温泉施設。露天風呂もサウナもない。地元の人が通う普段使いの湯である。
20人ぐらい入れそうな石張りの湯船に注がれる湯は、わずかに黄色をおびた透明湯。見た目は、ごくごく普通だが、体を沈めてから3秒後には泡付きが始まり、1分後には体中に隙間なく気泡が付着していた。驚異的なスピードと量である。
ちなみに、筆者は韮崎旭温泉のことを、大分県にある七里田温泉「下ん湯」と筌ノ口温泉「山里の湯」とともに、「日本三大泡付きの湯」と呼んでいる。
当然のことながら、湯口付近が最も炭酸ガスの量が多く、湯が白く濁って見えるほどだ。湯口に置いてあるコップを使って温泉を飲んでみると、口の中でシュワシュワと泡が弾ける。まさに炭酸水を飲んでいる感覚だ。
「泡付きの湯」は、健康にも効果があるとされる。皮膚から吸収された炭酸ガスは毛細血管を拡張し、血液の循環をよくする。だから、体の芯からポカポカに温まる。血圧を下げるので、高血圧や心臓病にも効果があるという。
筆者が気泡を付着させたり、払ったりして面白がっている間に、地元の常連さんたちは、手際よく体を洗い、入浴をすませて帰っていく。気泡のことなどまったく気にしていない様子だ。何度も入っていたら、きっと泡付きが日常になるのだろう。ニヤニヤしながら湯とたわむれる筆者の姿は、きっと奇異に映っていたに違いない。