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老舗「徳川商店」永続の秘密(1) 礎の据え方(徳川家康)

指導者たる者かくあるべし

 平和の時代の権力継承

 戦乱の時代を勝ち抜いた徳川家康が創業した江戸幕府は、明治維新で権力の座を下りた慶喜(よしのぶ)まで、15代、約260年にわたって政権を維持した。最近、江戸時代から続く老舗商店の息の長い経営術について注目が集まっているが、ある意味で世界的にもまれな老舗の店を構え続けた徳川政権が長期にわたって安定経営を維持できた秘密を探ってみたい。
 初代将軍の家康は、天下人の豊臣秀吉亡き後の混乱の中で、後継政権樹立の野望をあらわにするようになる。秀吉恩顧の武将たちを二分した関ヶ原の戦い(1600年)で東軍を率いて勝利し、武家の棟梁として権力を掌握した。
 1603年に征夷大将軍の地位についた家康の最大の関心事は、この後いかに徳川一族で安定的に将軍職を世襲していくかに絞られていた。
 後継者を早期に確立することの重要さは、秀吉の失敗をつぶさに見て心にきざんでいた。当初、後継者として期待をかけた長男の信康(のぶやす)は、政変に巻き込まれて自刃を余儀なくされている。次男の秀康(ひでやす)は秀吉の人質として取られ養子に出されていたことから、家督相続者は早い時期に三男の秀忠(ひでただ)に絞り込まれていた。
 だが秀忠には難点があった。徳川家の命運をかけた関ヶ原の決戦に、主力軍を任されながら中山道征伐に手間どって遅参し勝利を危うくしたことで、直参、譜代の家康側近たちの信頼を大きくそこねていた。「天下をになう人物にはあらず」という不満が周囲にくすぶり続けた。一時は家康も心が揺れたが、創業者として決断する。「跡取りは三男でしかあり得ない」。この決心は終生、揺るがなかった。
 〈たしかに秀忠に軍事の才能はない。全国の武家を統治する政治能力もわしには及ばない。しかし、武力闘争の時代は終わる。これからの平和の時代には、安定的に直系で権力をつないでいくルールづくりと、揺るぎない徳川家の権威を打ち立てることこそ大事だ。ころころと後継者をすげ替えることで、秀吉は、一代で凋落(ちょうらく)したではないか〉
 ここから、家康による二代目・秀忠への安定的な権力承継の環境づくりに拍車がかかる。

 二代目を押し立てる

 〈わしの目の黒いうちに、二代目、いやその先までも維持できる安定した統治システムを築かねばならぬ〉。家康は動く。
 征夷大将軍に就いて江戸に幕府を開いた創業初代は、秀忠への将軍職の世襲を確実なものとするために朝廷に工作して二代目を右近衛大将(うこんえのだいしょう)に任命させ、2年後の1605年には早々と将軍職を秀忠に譲る。家康は「大御所」(おおごしょ)として駿府(すんぷ)に拠点を移し、二代目を江戸城に住まわせ、政務を担当させる。
 形の上では、初代は隠居して会長職に退いたのだが、代表権は手放さない。あまりに早い社長職譲渡は、「うちは世襲でこの後ずっとやるのでよろしく」という、諸大名そして朝廷への強烈なパフォーマンスだった。江戸城には、家康以来の年寄である大久保忠隣(おおくぼ・ただちか)と本多正信(ほんだ・まさのぶ)を送り込んで睨(にら)みをきかせている。その一方、正信の子で働き盛りの正純(まさずみ)、朝廷、西国大名担当の板倉勝重(いたくら・かつしげ)や、相談役の学者、僧侶たちは手元に残して政策立案を自らおこなった。政治は江戸ではなく、駿府で決定され実行された。
 これだけ手足をもがれれば、いかに呑気な二代目の若様もキレるだろう。側近と謀(はか)って父子間の権力抗争が起きそうなものだが、そこは家康、気配りを忘れない。
 たとえば、各地の大名の世継ぎ問題では、吟味・決定は駿府で行いながら、後継者公認の安堵状(あんどじょう)は、将軍・秀忠名で交付させ、後日、家康名で徳川家の私文書を送って、保証する形をとる。あくまで天下に向けては二代目を押し立てて、その権威強化を支えた。巧妙なのである。

 執念の家康、ゆるゆると権力を渡す

 徳川政権永続に向けて最大のライバルとなる秀吉の遺児・秀頼(ひでより)との最終決戦となった大坂の陣(1614−1615年)では、軍事音痴の秀忠を出陣させて顔を立てつつ、実際の軍事指揮と豊臣方との外交交渉は家康が一手に担って遺漏(いろう)なきを期した。あくまで家康流なのだ。
 1615年、秀頼を自害に追い込み、名実ともに徳川の世となる。直後に出された一国一城令と徳川憲法ともいえる武家諸法度(ぶけしょはっと)は、秀忠名で発布された。ようやく二代目独り立ちのスタートだ。
 翌年、天下取りの思いを遂げた家康は病に倒れ、秀忠を駿府に呼び出してこう告げた。
 「わしはこの患いで果てると思うが、このようにゆるゆると天下をお前に渡せたのは満足であり、思い残すことはない」
 4月17日、創業者会長は世を去った。享年75。権力の世襲に向けた十年間の戦いだった。死の二週間前、彼は側近たちを枕辺に呼んで遺言を申し渡した。
 「一周忌が過ぎたら、日光に小堂を建てて神を勧請(かんじょう)せよ。関東八州の鎮守となるであろう」
 これが日光の東照宮である。家康は、東照大権現(とうしょうだいごんげん)という神となって、末代までの「徳川商店」の安寧(あんねい)を見守ることを願った。
 創業者としての執念であろう。

(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com

 

※参考文献
『徳川家康−時々を生きた男』藤井譲治著 山川出版社
『徳川三代99の謎』森本繁著 P H P文庫

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