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国のかたち、組織のかたち(81) 強大な相手と対峙する⑦(対唐政策の揺れ 下)

指導者たる者かくあるべし

 白村江敗戦と天智政権の脅え

 百済復興に向けて決戦と位置付けた白村江(はくすきのえ)の海戦での大敗北は倭国政権に大きな衝撃を与えた。敗残兵を北九州に引き上げさせると、母の斉明死後も天皇位に就かず遠征軍の指揮をとっていた皇子天智(中大兄)は、国防の厳戒体制を敷く。次には唐軍が海を渡って日本にやってくるという過度の脅えだった。

 那の津(博多)にあった外交の統率機関太宰府を内陸部に移し、敵の襲来に備えた水城(みずき=長大な防塁)を築く。対馬に防人(さきもり=防衛部隊)を置いて玄界灘の監視を強化し、瀬戸内沿岸に山城を築かせる。さらには、百年にわたって大和盆地の飛鳥の地に営まれてきた王宮を、防衛に不利との理由で、敗戦の4年後、琵琶湖南岸の大津に移す。

 この近江遷都が、これまで天皇家を支えてきた大和の諸豪族の離反を招く。大和の豪族たちは、天智の死後、吉野で逼塞していた天智の弟・天武を担ぎ、近江朝に反旗を翻して天智系の軍を破り、王宮は飛鳥に戻る(672年、壬申の乱)

 決め打ち外交のつけ

 百済救援軍の派遣といい、過剰なまでの唐への恐怖心といい、斉明・天智政権の外交の失敗だったが、その失政をもたらしたのは、当時の複雑な朝鮮半島情勢に対する無知だった。

 618年の建国以来、東アジア世界で並ぶものなき大国・唐の朝鮮半島外交の基本は、半島北部に位置する軍事国家・高句麗への対処と、東北部国境の安定にある。太祖による三度の高句麗討伐は失敗に終わり。唐の戦略は、半島南部の百済、新羅との共同作戦による、高句麗の挟み撃ちに転換する。唐と対峙する高句麗は、百済と結んで新羅の勢力を削ぎ背後を安定させようとしていた。高句麗・百済は協同して新羅を攻める。そこで新羅は、唐と結んで百済を攻め滅ぼす。唐の半島戦略は高句麗を押さえ込んで半島情勢を安定させることで一貫している。侵略的意図はない。さらに、半島でしのぎを削る三国はそれぞれに国の生存をかけた軍事・外交戦を展開していたのである。(下記の図の出典:「白村江」講談社現代新書)

 ところが当時の倭国(日本)は、慎重な外交戦略を取らず、滅亡した百済の遺臣からの復興救援に二つ返事で応じている。なぜか?

 一つは半島情勢の読み誤りだ。唐は、ほどなく撤兵するから、百済救援軍を送れば、新羅を打ち破るのは、たやすいと考えた。しかし、唐軍は、軍政の安定までさらに軍勢を増派している。戦いに慣れ、古代の近代装備を備える唐軍とまともに戦って勝ち目はない。

 二つめは、半島の情勢分析に百済によるバイアスがかかっていたことだ。斉明朝の宮廷には仏教伝来以来の友好国・百済の高官が多数いた。母国の窮地に際して、彼らは、倭国への救援要請で強力なロビー活動を展開したに違いない。宮廷は、客観情勢の冷静な分析より、友好国を助けるという「義」を優先させてしまう。外交はリアリズムだ。義で行動すると国益を失うことになる。白村江の敗戦は、そのいい例である。

 勝利した新羅のしたたかな戦略

 唐に対する読み誤りは、戦後処理でも見て取れる。終戦の翌年、唐は、百済駐留軍司令官の使者を倭国に送り和睦を求めた。しかし朝廷は、「信用できない」として、九州太宰府での応接にとどめて信書も受け取らず追い返す。翌年、唐は再び、長安の官人を使者に立てて公式の和睦を求めた。朝廷は面談を拒むわけにいかず、両国は修好を公式に結んだが、唐を恐れる我が国は、その後もハリネズミ防衛体制の構築に多大な労力を費やすのである。

 同じ情勢にあって、隣国の新羅はしたたかな外交を展開する。まず、国境を高句麗、百済が連動して攻め入ってきた時に、外交関係のあった倭国に使者(のちに武寧王となる金春秋)を送り救援を請う。倭国が無視したので唐に救援軍の派遣を願い出て、百済を打ち滅ぼした。唐の半島戦略を正確に読んでいた。そして唐の狙いに沿って高句麗を攻めて滅亡させる(668年)。ここからが新羅の小国外交の真骨頂なのだ。

 唐は、新羅の半島内での影響力強化を牽制するため、滅ぼした百済、高句麗の王都に都督府(軍政拠点)を置いて、半島全域の植民地化を狙う。その意図をくじくために新羅は決起する。670年、新羅は旧百済領の唐を攻めてその地を併合する。唐は新羅王の官位を剥奪し制裁するも、新羅はひるまず、旧高句麗領でも軍事行動を展開して、唐の勢力を半島から一掃する。朝鮮半島は、新羅が統一して完全独立国家が成立する。

 粘り強く外交力を駆使してタイミングよく軍事力を行使した統一新羅は、この後250年間にわたり朝鮮半島に平和をもたらす。7世紀の日本に欠落していたのは、このしたたかな外交力だった。

(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com

※参考資料
 「日本の歴史2古代国家の成立」直木孝次郎著 中公文庫
 「白村江 古代東アジア大戦の謎」遠山美都男著 講談社現代新書
 「日本の歴史03 大王から天皇へ」熊谷公男著 講談社学術文庫

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