植民地からの独立
米国の大統領選挙は、11月5日の投票日まで2か月を切った。民主党候補のカマラ・ハリスが勝って米国史上初の女性大統領誕生か、共和党のドナルド・トランプの返り咲きなるか、激戦模様の選挙戦の行方に世界の目が注がれている。
今でこそ、国際政治的、経済的に世界で最大の影響力を持つ超大国となった米国だが、建国からまだ200年余りの若い国だ。この若い国がどのようにして世界の中心に躍り出たのか。その建国の経緯と、この国が目指す方向性を振り返っておきたい。
米国が建国を宣言したのは、1776年のこと。日本でいえば江戸時代中期で、徳川10代将軍、家治(いえはる)の治世だ。未開の大地が広がる北米大陸で、16世紀にまず入植してきたのはスペイン人たちだった。フロリダからニューメキシコといった現在の合衆国の南部の開拓を開始した。続いて、17世紀にやってきたのはフランス人で、五大湖からカナダにかけての北部で、動物の毛皮の交易が目的だった。遅れてやってきたのが、英国イングランドからの植民者たちで、彼らは、スペイン、フランスに南北を囲まれた東部大西洋側の比較的不毛の土地に根付いた。彼らは本国との交易で経済力を蓄えていくが、英国本国の一方的課税権の行使など強権的経済支配に反発し、抵抗を開始する。
1773年12月には、ボストンで、本国が現地の意向を無視して東インド会社の茶葉を独占的に持ち込み販売しようとしたことに反発した植民者たちがこれを海に投げ捨て実力行使に出る(ボストン茶会事件)。これをきっかけに、東部の植民13邦(州)が団結して独立戦争に動き出す。
独立宣言
以上が大まかな流れだが、独立戦争最中の1776年7月4日、独立宣言が出される。のちに第3代合衆国大統領となるトマス・ジェファーソンが草稿を書いた。その中に有名な一節がある。
「われわれは、次の真理は自明なもの信じている。すなわち、人はすべて平等に造られている。人はすべてその創造主によって、誰にも譲ることができない一定の権利を与えられており、その権利のなかには、生命、自由、そして幸福の追求が含まれている」
高らかに自由と平等をうたい上げて、国家の目指す方向と高邁な理想が示されている。
英国本国では、この独立宣言について、「理想はいいが、それなら、なぜ13邦には黒人奴隷が存在し、それを容認しているのか」と嘲笑った。たしかに、米国では、いまだに黒人の人権どころか、その土地を植民者たちが奪った先住民の権利も十分に保証されていない。建国の理想と現実の乖離は、今もこの国が引きずる恥部である。
しかし、自由、平等、博愛を掲げてアンシャンレジーム(旧体制)を打ち倒したフランス革命で、フランス国民議会が同じ理想を掲げる人権宣言を採択したのは、13年後の1789年8月であることを考えれば、白人限定の宣言ながら、米国独立運動を主導した人々の理想の高さうかがわせている。
革命としての建国
アメリカ大陸(独立)軍は、1781年にヨークタウンの戦いで英国軍を撃破し、2年後に独立を獲得する。戦いの後半には、理想を共にするフランスも革命軍を派遣している。
日本の教科書では、一連の米国建国劇を英国での記述に沿って米独立運動・独立戦争と表現しているが、米国では、「アメリカ革命」( American revolution)と表記する。
価値観と体制の転換を伴う革命だったのである。
ひるがえって日本。敗戦によって荒廃した国の理想のよすがとして発布された日本国憲法には、フランス人権宣言と米国独立宣言の精神が盛り込まれている。なかんづく、主権者が、天皇から国民へと大転換した。しかし、そのことを「昭和革命」と認識する言説はお目にかからない。それどころか、「押しつけ憲法」という見方も根強い。
不思議なことである。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
(参考資料)
『植民地から建国へ アメリカ合衆国史①』和田光弘著 岩波新書
『アメリカ革命 独立戦争から憲法制定』上村剛著 中公新書