- ホーム
- 指導者たる者かくあるべし
- 逆転の発想(41) 政治に必要なのは言葉の力である(吉田茂)
権威にはユーモアで対抗する
前回に続いて吉田茂の話である。敗戦により国の自主権を奪われた占領下の日本の首相として占領軍との交渉にあたった吉田茂の武器はユーモアのセンスだった。外交官出身で権力と政治については素人だった吉田だが、戦前の英国大使時代に身につけた言葉による対人術で泣く子も黙るG H Q(連合国最高司令官総司令部)とそのトップであるマッカーサー元帥の権威に対抗し、食い込んだ。
最初に取り組まざるを得なかったのは、食糧事情の改善だった。吉田はG H Qに対して食糧の支援を要請する。吉田はマッカーサーと直談判し、統計資料を示した上で450万トンの緊急支援が必要であると訴えた。「これがないと餓死者が巷に溢れる」と主張した。
しかし、連合国の極東委員会は、食糧不足はアジア全体の問題で日本だけを特別扱いするわけに行かないと難色を示す。吉田は食い下がる。「放置すると餓死問題だけでなく、食糧を求める民衆の暴動が起きますぞ。閣下、日本における治安維持の最高責任者としてそれでいいのですか。共産革命も起きかねないですぞ」。脅迫である。
この脅しが効いて、マッカーサーは吉田側についてワシントンに対し強硬に日本への食糧支援を要請した。なんとか70万トンが送られた。要請の6分の1だったが吉田が主張するほどの餓死者は出なかった。
しばらくしてマッカーサーは吉田を呼び出す。「70万トンしか届かなかったが、あなたが言うような餓死者は出なかったではないか。日本の統計はいい加減で困る」
この難癖に吉田は平然と答えた。
「当然でしょう。もし日本の統計が正確だったら米国相手にあんな無茶な戦争はいたしませんよ。もし統計が正しかったなら、あの戦争にはわれわれが勝っていたはずです」。アメリカ本国から叱られてメンツを潰されたマッカーサーも、これには吹きださざるを得なかった。「面白い、吉田は使える」。元帥は占領業務遂行にあたって吉田という政治家に敬意を払うようになる。
権威を嫌い毒舌で煙に巻く
吉田が次に取り組んだのが憲法改正だった。G H Qが押し付ける民主化憲法の制定には、与党内からも。「押し付け憲法である」として反対論が強かった。憲法改正を急ぐ吉田に詰め寄る与党議員たちをなだめて吉田は言う。
「G H Qとは、何の略語が知っているか。“Go Home Quickly”(早く本国へ帰れ)よ。一日も早く主権を回復して、占領軍に引き揚げてもらうことが大事なんだ」
目標を見失うなと、やんわりとたしなめたのだ・
合理的精神の持ち主である吉田は、権威を振りかざす強圧的態度を嫌った。それに対抗し、かわす知恵がウィットであり、時には毒を含むユーモアだった。権威主義がまかり通っていた戦前の外交官時代から彼はそれを貫いた。
寺内正毅(てらうち・まさたけ)が首相に就任するときのこと。寺内が朝鮮総督時代に秘書官として仕えたことから吉田に首相秘書官になるように寺内から声がかかった。
吉田は即座に断った。その答えがふるっている。「秘書官は務まりませんが、総理なら務まります」。軍人上がりの寺内が示した朝鮮総督時代の権威主義的統治手法をやんわりと批判したのだ。
反骨精神の本音
同じ精神はマッカーサーに対しても向けられる。吉田の葉巻好きを知ったマッカーサーは、フィリピンに所有する農園の葉巻をプレゼントしようと言ったが、吉田は断った。「私はハバナの葉巻しか吸いませんから」
プレゼントでわが意に従わせようとするマッカーサーの底意を嫌ってのことだ。彼のユーモアは権威への反骨の精神に貫かれている。
敗戦によって連合国の意に従わざるを得ないとしても、属国になり下がりはしない。しかし反抗出来ないくらい相手の力は巨大だ。そこで発揮されるのがユーモアだった。
吉田は回顧録で書いている。
〈近年、いわゆる進歩的文化人や左翼の革新的思想の持主と称せられる連中が、何か対米関係の問題が起きると、アメリカの植民地化だとか、アジアの孤児になるとか、卑屈な言辞を、いとも簡単に弄するのを聞く〉
1902年の日英同盟を思い出せと彼は言う。〈当時、大英帝国は最盛期にあったが、ようやく世界史に登場したばかりの極東の一小島に過ぎなかった日本には猜疑的悲観論を唱えるものは見当たらず、少しも劣等感はなかった〉
明治の政治家たちには、英国のジョンブル精神と共通の毅然とした心構えがあった。吉田も確かにその列に連なるだろう。
最後に彼の秀逸のユーモアを一つ。ある日、吉田は会いたくない客人に居留守を使い、ばれた。抗議する相手に言った。「本人がいないと言っているのだから、それ以上確かなことはないだろう」。確かにその通りである。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『回想10年(1)』吉田茂著 中公文庫
『マッカーサーと吉田茂 上、下』リチャード・B・フィン著 内田健三監訳 角川文庫