私は、新入社員向けの講話で、松下幸之助翁の「新入社員という立場は変えれないが、社長の気持ちになって働くことは今日からでも出来る」という言葉を送ります。
役職は会社から与えられるが、役柄は自前で創れる。
ここにホテルのドアボーイがいたとします。
「自分はまだペイペイ(無役)ですから」という人もいれば、「私の第一印象はホテルの第一印象」と思って働く人もいます。
「御社の経営理念は何ですか?」と尋ねられ、ウロウロと手帳を探す人もいますが、「私の判断、言動を見ていただければ分かります」という人もいます。
企業の後継者でも、「自分はこのような商売は、やりたくなかったけど、親父の後を継がないといけないから引き受けた」という人もいれば、「ゼロから100人の会社を創るのは大変、信用を得るだけでも大変。自分はラッキーにも、ここから出発できる」という人もいます。
社員の場合は、役職が主任でも、役柄として部長を演じてくださとい言っています。そうすると、そのうち部長レベルの活躍をし始めます。その彼の活躍を見て、会社としては勿体ないので、少なくとも「課長」にはします。
企業の組織図において、各人がワンランク上の「役柄」を先行して演じている会社は、間違いなく成長します。
ここで私自身のお話しをさせていただきます。
私は、大手コンサルティング会社に在職中の28歳から、「臥龍」という役柄を得て、私自身のことを【臥龍】と名乗らせていただいております。
28歳の前年の暮れに、九死に一生の交通事故に遭い、三か月半入院しました。
ベッドの上で、交通事故に遭った瞬間に、人生の想い出シーンが、次々と現れる「走馬灯」を観たことを思い出します。
「次に死ぬ時に、もう一度見るな・・・」
その瞬間、人生とは、自分独自のドキュメンタリー映画の撮影と知りました。
朝起きた瞬間に「アクション!」の声が掛かり、一日の撮影が終わり、寝る瞬間に「カット!」の声が掛かります。
一日一コマの撮影、80年の人生ですと、約3万コマの映画です。
その圧縮版を臨終のときに観ます。
映画の予告編は短いですが、映画の全体像は伝わります。
それくらいの長さの「走馬灯」です。
自分の人生の走馬灯映画でENDマークが出たときに、どういう感想を呟くかが究極の意思決定です。
決めました。
「まったく同じ人生を送っても悔いがない」
日々の一コマ撮影が、この呟きに近づくものかを、日々確認しています。
今のところ、年間350日は役柄に近づくものです。有難いことです。
■「成りたい理想」を描くことが大事
そして、自分が主役の映画なのに役柄を決めていないことに気が付きました。
経営コンサルタントという職業は決めていましたが、役柄・キャスティングがまだでした。
実は後継経営者の方々も、社長業という職業は決めていても、役柄・キャスティングは未定という方がほとんどです。
この場合、「成れる、成れない」ではなく、「成りたい理想」を描くことが大事です。
「キャスティングは自由」、なのです。
私は、たまたま「三国志」を読んでいたので、どうせ成るなら諸葛亮孔明と定め、その青年期のあだ名である「臥龍」を、我が「役柄」と定めました。
しかし退院後、「臥龍」を名乗りたいと言うと、周りは大笑いでした。
28歳のサラリーマンと諸葛亮孔明は、余りにも遠い、イメージ出来ないと言うのです。
もっともですので、以下のように考えました。
「従業員数1万人以上を率いる中国や台湾の経営者の前に、どういう青年が現れたら『臥龍老師』と呼ぶだろうか?」
そこから逆算して、役作りを始めました。
役作りから7年、35歳で台湾デビューし、37歳から台湾・中国でも「臥龍老師」と呼ばれ始めます。
台湾経営者からいただいたメッセージ(映像)⇒ https://youtu.be/dNbGArotSxc
毎回のことですが、臥龍が台湾の空港に着くと約20名の経営者が出迎え、仮に一週間滞在しても、一円のお金も使うことはありません。
台湾では、騙される危険性は、限りなく少ないでしょう。
何故なら、台湾で臥龍を騙すと、その人は台湾経済界で村八分になるからです。
経営者も、「自分が理想とする役柄」を堂々と描き、役作りをすることです。
「従業員に慕われ、業界に新たな経営像を提示した年商500億の経営者」、何でもいいのです。
役作りを続けると、かまぼこの魚肉と板のようにぴったり着き、「板に着く」のです。
「板に着く」まで役作りをしたい理想像を描き、定着まで寄り添う、このお手伝いが「経営者専門メンター」です。
臥龍の顧問先「長坂養蜂場」のキャリア採用された社員が、
「役割」を得て変わった瞬間(映像)⇒ https://youtu.be/tx55aPmev7s
■人生は一回限り、理想を演じないと勿体ない。「成りたい理想」を描き、それに向けての「役作り」を欠かさないことだ。必ず「板に着いた実感・歓喜の瞬間」が訪れる。~臥龍語録より~