一倉定先生から直接経営を学び、町のレストランを東証スタンダード上場の大人気チェーンへと成長させた、野沢八千万氏。今回は、事業の成長・拡大の原動力となった一倉先生の教えや、一倉社長学をこれから学ばれる方へのアドバイスなどをお伺いしました。
フライングガーデン代表取締役会長 野沢 八千万(のざわ やじま)氏
北関東に58店舗を展開する洋食チェーン、フライングガーデンの創業者。看板メニュー「爆弾ハンバーグ」は、その名前のインパクトとお客様の目の前で焼き上げる迫力満点の提供スタイルから絶大な人気を博している。1976年に同社を創業。成長拡大のタイミングで一倉氏の門下生になり、2004年には株式上場を実現。2021年に取締役会長に就任。
一倉定先生から経営を学ばれたのはいつごろでしょうか?
私が一倉先生から経営を学ぶようになったのは、創業から約10年目のころでした。
当時会社は、年商5億円を越えようとしていましたが、社長としてこれからどう会社を経営していけばいいのか分からなくなり、強い危機感を抱いていました。
そんな折に、一倉先生のセミナーを知り、「社長の姿勢」の回に参加しました。そこで一倉先生から「まず、お客様に喜んでもらうこと。それから社員に喜んでもらう。これに全力を傾けて経営を行う」という話を聞き、頭をガツンと殴られたような衝撃が走りました。
一倉先生から本格的に経営を学びたいと思った私は、すぐに先生の個別指導が受けられる合宿研修に申し込もうとしました。ところが、当時一倉先生の合宿は大人気。1年前に申し込んでもキャンセル待ちだったのです。事務局に「どうしても」と頼み込んだところ、「年8回のコースを親が亡くなっても休まず参加する」という条件でなんとか合宿の枠を特別に空けてもらいました。
一倉先生から直接指導を受けられた時のエピソードを教えてください。
1年間全8コースを受講し、私は念願の経営計画書作成合宿に参加することが出来ました。場所は、韓国の済州(チェジュ)島でした。
当時私は、全8回の講義と書籍を通して、一倉先生の教えを学んでいたので、自信をもって計画書を先生に見てもらいました。ところが、一倉先生は、計画書を見るや否や目をキッと吊り上げ、「馬鹿野郎!何もわかっていない!日本に帰れ!」と卓上のガラスの灰皿を私に叩きつけようとしたのです。
私は慌てて「分かっていないから合宿に来ているのです。それに帰れと言われても鳥ではないので飛んで帰れませんし、魚でないので泳いでも帰れません」となだめたところ、灰皿を机に戻し、赤ペンで、私の自信作にバツをつけました。
一倉先生は、私が計画書にお客様を軽視し、社員に責任を押しつけるような文言をいれていたことに激怒したのです。
私は、負けず嫌いなところがあるので「見返してやる」と心に炎が燃え上がりました。あの時、優しく扱われていたら、慢心してしまい、いまの規模にまで会社を成長・拡大させることはできなかったでしょう。
先生の教えで、会社が大きく成長したとのことですが、どのようなことをされたのでしょうか。
一倉先生はよく「社長の後ろ姿を見て部下は育つ」と説きました。このことを意識した私は、何をやるにもとにかく率先垂範して、陣頭指揮をとることを心がけました。
駐車場にガムが捨てられているのを見つけたら、今までであれば、社員に指示をして掃除させていたのですが、先生の教えを受けてからは、まず私自身が竹串で黙ってとるように心掛けました。するとそれを見ていた社員も気づいて自分のあとに続くようになりました。
指示命令ではなく、社長が「これをやる」と決断し、自ら先頭に立って動くことではじめて社員の行動にも変化があらわれるということを身に染みて感じました。
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