※本コラムは2021年8月の繁栄への着眼点を掲載したものです。
アイルランドにいたときのことだ。両親が私の様子を見に一度だけアイルランドに来たことがあった。叔父、故亀岡季知が当時常務をやっていたアルプス電気のアイルランド工場設立に携わっており、土地勘もあるということで連れてきてくれたのだ。
数日行動を共にしたが、牟田學を見ていて驚いたことがあった。食事をするのに立ち寄った田舎の小さいレストランでも何処でも店員に日本語で話しかけるのだ。私が英語で注文すればいい話だが、父親の英語力を見たかったという意地悪もあった。
メニューを広げ、まるで日本にいるかのように「コレとコレね」と言う。すると、それに対して現地人のウェイトレスが「うん」と答える。その姿を見て英語を勉強する意味について考えてしまった。
それは冗談でもあるが、牟田學は何処に行っても、誰と話しても態度は変わらない。何十年もそばで見ていてつくづく思う。何処に行っても、相手が年下でも、社員に対しても「さん付け」で呼ぶ。私もそのようにしている。
「相手によって態度を変えない」とは、会長の牟田學も、私も無門塾をやる上で最も気を付けていることだ。15人限定であるが、女性もいれば男性もいる。年上もいれば年下もいる。初めて会う人もいれば親しい人もいる。売り上げが大きい人もいれば売り上げが小さい人もいる。業種もエリアも様々だ。
そもそも、無門塾の「無門」とは、「誰でも受け入れる広い心を持つ」ことである。「大いなる道には門がなく、その道が小であればそこには門がある」大きな道には門がないのと同じで、仏道、心理の世界、悟りの世界には決まった入り口はないことからきている。
「その道が小であればそこには門がある」とあるが、社長であるならば、大いなるロマンの結実に命を懸けるべきではないか。会社というのは、社長の器より大きくなることはない。会社を大きくしたいならば、自分の器を大きくするしかない。
年下の者や、立場が下の者を捕まえ傍若無人に振る舞う者を稀に見かける。ホテルのフロントであったり、新幹線・航空会社の窓口であったり、スタッフを捕まえ延々と説教をしている。社長としては非常に残念な人である。
器が小さい。こういう人の特徴として、「自分に自信がない」という共通点がある。人間は自分より下の人を見て安心する生き物だ。自分より立場の弱い人を踏みつけ、自らの足元を確認しないと気が済まない寂しい人が一定数いる。悲しく感じる。
因果応報とは言ったもので、自分の可愛い社員が同じ目に合ったならばどう感じるのだろうか。気づいてほしい。「自信」とは、自分との約束を達成していくことでしか生まれない。小さな目標で構わない。その小さな目標の達成が積み重さなれば、自分を信頼することが出来る。それが自信だ。
大道無門。
大きな道には門がないのと同じで、仏道、心理の世界、悟りの世界には決まった入り口はない。誰に対しても分け隔てなく、大きな志を立て、自らの業に徹してほしい。
何をなすべきかひたすら想い考え、情熱を持続し力を集結して行えば、何事も自分の信念するとおりに成すことが出来る。
※本コラムは2021年8月の繁栄への着眼点を掲載したものです。