※本コラムは2021年9月の繁栄への着眼点を掲載したものです。
社長とは仏と鬼の間を行き来するような存在である。
優しくなければ社長になる資格もないが、強くもなければ生き抜くこともできない。優しさと甘さは違う。
理事長職に就き5年目を迎えた。専務時代から会社のことは一通りやっていたが、役職の重みを感じる4年間だった。特にこのコロナ禍の2年は、社長にとって人間力が試される2年である。私自身、「強くなければいけない」と気を張って過ごしてきた。
先日、会長の牟田學の「社長業のすすめ方」を読み直していてこのような一文が目に留まった。直前で受けた個別相談の内容そのものだった。本でもセミナーでも、その時の自分の心によって入ってくる部分が違うとつくづく思う。
『経営には、安定という視点を強く捉えると、大きくする必要がない場合さえある。また個に徹すれば小さいことが良いということさえ多い。時には縮小することが成長や安定だったりもする。100人の事業態で、50人を切って、50人を生かして事業を存続させることが正しいジャッジだと判断せざるを得ない場合もあるのだ。幸福に生きたい、という人生観を持っていれば、50人を切ることは実に忍び難い。人生の夢を社長に託して一緒に働いてきた社員を馘首することは、社長として、これほど恥ずべきことはない。後に恨みを残すことは必定である。もしあなたが若くて、これから大出世を目指すならば、禍根を残すようなことをしてはならない。失敗は許されないのだ。規模の大小も、金も、地位も、幸福の前には何の価値もないことである。それでも、職業柄、阿修羅のようになって縮小を敢行し、事業の安定を選択せざるを得ない場面に、幾度となく遇ってきた』
「何故この状況になるまで」という言葉は言っても仕方がなく、現状の中でも打てる手を示していかなくてはいけない。こういった状況の中では、人間は借金を返すことしか考えられなくなるものだ。まだ打てる手があるのに見えない。その余裕がない。
銀行に対して、固定資産に対して、止血をすべき現業に対して、造血をすべき新事業に対して、身内に対して、社員に対して、全てにおいて、時には鬼となり対処していかなくてはいけない。自分自身に対してもだ。会社にとって「成長拡大」の戦略は重要なテーマであるが、同時に「安定」させる戦略もなければ永続的な繁栄は実現できない。これもまた二面性である。
社長とは仏と鬼の間を行き来するような存在である。
残念ながら人間は、自分の年齢、自分の立場、自分の役職、自分の生活環境からしか物事を見ることが出来ない。だから様々なところで摩擦が起きる。会長と社長、上司と部下、先輩と後輩、会社の中で問題は尽きることが無い。歯痒いこともあるだろう。「だから面白い」と私は思うようにしている。そのときによって、私も仏にもなるし鬼にもなる。仏も鬼も、全ては紙一重なのではないかとさえ思う。
社長は、仏と鬼を自分の中で使い分けるようになってほしい。
※本コラムは2021年9月の繁栄への着眼点を掲載したものです。