徹底抗戦の気概が祖国を救う
フランス。第二次世界大戦の戦勝国として、戦後世界では国連安全保障理事会の常任理事国として核を保有し、絶大な国際的地位を保有してきた。しかし国家としてのフランスは大戦初期にナチスドイツの電撃侵攻に屈服し、独仏休戦協定を締結している。フランス政権が連合国に復帰するのは、英米軍が多大な犠牲を払ってドイツ軍を駆逐しパリを解放した大戦末期の1944年8月のことだった。
一方、枢軸国として戦ったイタリアも戦争末期にパルチザン一斉蜂起でムッソリーニ政権が追放されているが、フランスと違い敗戦国の扱いである。両者の国際的地位を分けたのは、フランス軍の無名に近い一将軍が、祖国を離れてロンドンに亡命し、わずかな軍を率い徹底抗戦を掲げて「自由フランス」という亡命政権を維持したことにある。
その将軍こそ、傲慢で自尊心の塊として英国首相のチャーチル、米国大統領のルーズベルトをも悩ませ反感を買ったシャルル・ド・ゴールだった。
ロンドンからのラジオ放送
1940年5月、ドイツ軍の機甲師団が西部戦線に電撃的に殺到すると、前線はあっという間に破られて、フランス軍は敗走を重ねた。時のフランス内閣を率いる首相ポール・レイノーは前線の一指揮官だったド・ゴール(大佐)を呼び戻して陸軍次官に抜擢したが、戦況は立て直せず軍も戦意を喪失し、政権は崩壊する。代わって政権についた第一次大戦の英雄、ペタン(元帥)は、ヒットラーとの間で和平の道を選び、徹底抗戦を訴えるド・ゴールはのちに死刑宣告を受ける。
独仏休戦条約が結ばれた直後、側近とともにロンドンに逃れたド・ゴールは、6月18日、英国のBBC放送を通じて英国に逃れたフランス国民に呼びかけた。
「(ペタンの)政府は軍隊の敗北を理由に戦闘を停止した。しかし、これが最終的な敗北だろうか、ノン(否)、フランスは孤立していない。この戦争は不幸なフランス本土に限られたものではない。世界が舞台の戦争なのだ。私、ド・ゴール将軍はロンドンにいる。英国領土にいるフランス将兵は、私と連絡を取るように呼びかける。何が起きてもフランスの抵抗の炎は消えてはならないし、消えないだろう」
呼びかけの趣旨は、ドイツと戦おうにも手持ちの軍隊のないド・ゴールの焦りが見える。しかし、放送は意外な効果も生む。フランス国内に流れた微かな電波が敗戦に打ちひしがれたフランス国民にも届いた。検閲を逃れた新聞にもド・ゴール演説は掲載された。「まだ戦っている将軍がいるらしい」。自尊心の強いフランス国民に一筋の希望を与えた。
メディアを通じた情報戦の効果は、今も昔も変わらずにある。しかし、フランス国民の反応は、今ひとつだった。「ド・ゴールってだれだ?」。それほど彼は無名だった。
両雄並び立たず
演説の中の「世界が舞台の戦争だ」というフレーズは、ド・ゴールが抱いている戦略が秘められている。
政権崩壊直前の首相レイノーにド・ゴールは一つの提言を行なった。「本土で戦ってもナチス軍に勝つ見込みはない。無傷の将兵を早いうちに北アフリカの海外植民地に脱出させ、そこを拠点に再起を期しましょう」。首相の同意をとりつけて彼はフランス兵の対岸輸送についてチャーチルと交渉する。
「兵員と戦車、武器を輸送するための50万トン分の船を貸してほしい。そして護衛のために英国空軍も南フランスへ回してもらえないか」
チャーチルが直前に敢行したダンケルクから本土への戦闘員脱出作戦を念頭に置いていることは明らかだった。海外植民地拠点戦略も、対独戦の決意を示したチャーチルの有名な「われわれはどこでも戦う」演説に想を得ている。チャーチルはド・ゴールのそういうあざといところを嫌った。
身長196センチの偉丈夫であるド・ゴールを小柄なチャーチルはしばらく無言で見上げて冷たく言い放った。「お断りする」。
いつヒットラーがイギリスへの上陸作戦を行うか気が気でなかったチャーチルにも余裕がない。
傲岸不遜なド・ゴールと、激情型のチャーチル。愛国者二人の確執は、戦後世界まで引きずることになる。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『ド・ゴール大戦回顧録』シャルル・ド・ゴール著 村上光彦、山崎庸一郎共訳 みすず書房
『ド・ゴール 孤高の哲人宰相』大森実著 講談社
『第二次世界大戦 2』W・Sチャーチル著 佐藤亮一訳 河出文庫