【意味】
人間社会では、身分地位の高い低いという不平等の現実があり、
その不平等の地位に応じて我慢すべき節度があることを承知すべきである。
【解説】
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造ら ず」は、
明治初期には発刊された福沢諭吉翁の「学問のすすめ」に掲載されたものです。
現代の民主社会に生きている我々にも新鮮な響きを与えてくれるこの言葉は、
封建道徳が根強く残った当時の人々に、万民平等の社会を創るという大きなロマンを与えました。
またその一方では、当時は旧徳川時代の影響も強く残り、新たに権力中枢を握った薩摩長州の横暴も
目に余る厳しい現実もありました。いつの時代でも世の中の現象は「正邪同居の世の中」であります。
個人でも社会でも、現実の直視とその先のロマンというバランスが大切です。
しかし理想社会に憧れ過ぎて、現実社会の批判に終始して一生を終わってしまう人も少なくありません。
肉体の束縛を奴隷といいますが、政治や宗教の思想呪縛もある種の奴隷です。
職場でも習慣的な上司や同僚への不満から抜け出せない人も見受けられますが、こ れも呪縛奴隷の一種です。
これらの人種に陥る原因は様々ですが、「清濁併せ呑む度量」の不足といえます。
「・・万人は万人皆同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく・・されども今広くこの人間世界を見渡すに、賢き人
あり、おろかな人あり、貧しきもあ り、富めるもあり・・賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり」
この文章は翁の先の言葉に続くものですが、ロマンと現実の両面を説き、
更に愚人から脱却するための学びが必要だと説いています。
この文章を読みますと、翁が明治の新時代を迎えてどのような想いで、
「学問のすすめ」というタイトルにしたのかが解るような気がします。
平等の権利には平等の義務が伴います。
自分の自由は他人の権利の侵害であるという気遣いが必要です。
この気遣いを国民に教えるために諭吉翁は「独立自尊の精神」と説きました。
当時の翁は官僚主義に立ち向かい、塾生たちに「官史になるより風呂屋の三助でも焼き芋屋でもよい。
在野(民間)精神を旺盛に持て」と啓蒙しました。
薫陶を受けた塾の卒業生は、この精神を受け継ぎ多くの企業を興し日本の近代化に大きく貢献しました。
一部の国民や業界が政治や宗教の集団と結託して、借金地獄の国に相変わらず補助金をむさぼる傾向があります。
一般的に豊かな一時代を経験した国の国民ほど 無意識に被害意識が芽生え、
気付かないうちに「独立精神の貧弱なムサボリ国民」となるということです。
残念ながら、この種の国民が増えれば自滅国家の道を歩むことになります。
我々の人間学読書会でも独立精神を啓蒙していますが、まだまだ微力です。
諭吉翁所縁の学び舎で、その独立精神を学んできた方々は勿論、優秀で社会に影響力の大きな人ほど、
国家官力に頼らない国民精神を復活させる運動の先頭に立っていただきたいと切に願う次第です。
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人は、貴賤の各分の有るを知るべし。
杉山巌海