■波打ち際の名湯
みなさんは、山派だろうか? それとも海派だろうか? 筆者はどちらかといえば、山の温泉が好きだ。
海岸沿いにも名湯は少なくない。しかし、しっぽりとした温泉情緒に欠けるところがある。たとえば、熱海温泉(静岡県)にしても、白浜温泉(和歌山県)にしても、かつてリゾート地としてにぎわっただけあって、「旅館」というよりも「大型ホテル」がメイン。温泉街も市街地化しているので、浴衣姿でカランコロンと下駄をならして歩く、という風情ではない。
完全に個人的な好みだが、にぎやかな海岸沿いの温泉地よりも、ひっそりとした山あいの温泉地のほうが性に合う。
一方で、海を見ながら温泉に浸かるのが、至福の時間であることも否定しない。海風を肌にじかに感じながら、はるか遠くに延びる水平線を望む。これぞ島国ニッポンならではの温泉スタイル。日本人として生まれてきてよかったと思う瞬間だ。
海岸線に立つ大型ホテルのなかにも、「海を見ながらの湯浴み」を売り物にしているところは少なくない。しかし、これらの多くは湯の質がいまいちであるケースが多い。無理やり眺望がよい最上階に浴場をつくるものだから、温泉をわざわざポンプで引き上げなければならない。そうすれば、当然温泉の鮮度は悪くなるし、湯を循環ろ過させて使いまわすことになる。
海を見ながら浸かるなら、波打ち際に湧く温泉にかぎる。泉源に近いから湯も新鮮だし、目の前が海だから視界を遮るものもない。そんな波打ち際の名湯のひとつが北海道にある。函館市から東へ約50キロ、太平洋に面した「水無海浜温泉」だ。
■入浴できるのは干潮の数時間だけ
水無海浜温泉は、活火山である恵山の麓に湧く。恵山は618メートルという標高だが、赤茶けた荒々しい山肌からは白い噴煙が上がる。麓から見上げると、低山ながら大迫力である。
そんな恵山の東麓に水無海浜温泉は位置する。しかし、タイミングが悪いと発見できないことがある。なぜなら、一日のほとんどの時間は海中に沈んでいるからだ。干潮の前後、数時間しか湯船は姿を現さない。時期にもよるが、入浴に適している泉温になるのは2時間程度。まさに「幻の温泉」なのだ。
恵山岬灯台から海岸線へと降りていく。簡素な更衣室がある以外は何もない、ごくごく普通の海岸である。だが、一角に10人くらいの人だかりができていた。観光スポットなので見物客も多いのだ。
事前に干潮の時刻を調べてから訪れたので、石とコンクリートでつくられた湯船は、しっかりと地上に顔を出していた。波打ち際の温泉というよりも、海の中に湯船があると言ったほうがいいだろう。だが、このとき入浴している人はいなかった。
見物客がいなくなってから入ろうと待ってみたが、なかなか人手は途切れない。このままではいつまでも温泉に浸かれないので、観光客がいなくなった一瞬のすきを見計らって、エイヤと服を脱いだ。気軽に来られる場所ではないし、一日に数時間しか入浴可能時間がない。その上、波の高い日はそもそも入浴できないのだ。このチャンスを逃すわけにはいかない。
すると、あとからやってきた中年男性が、「俺も入るぞ!」と言って服を脱ぎ出した。仲間がいれば勇気百倍である。なお、海水浴シーズンなど人が多い時期は水着着用のほうが無難だ。
■海と一体になれる絶景温泉
透明の湯は、ちょうどよい湯加減。湯船の底から50℃ほどの源泉が湧き出しているので、干潮から時間が経ちすぎると熱くて入れなくなるとか。つまり、海水とブレンドされることで、いい湯加減になるというわけだ。
湯船の底を見るとヒトデが生息していた。潮が引くときに取り残されてしまったのだろう。湯は海水ほど塩辛くはないが、すっかり「温泉の海」に浸かっている気分だ。海との一体感がすばらしい。
入浴を楽しんでいる間にも何組かの見物客がやってきたが、湯船に入ってしまえばもう気にならない。羞恥心もなくなるくらい魅力的な温泉ということだろう。