幹部の意識を変える
78歳で、破綻した日本航空(JAL)に会長として乗り込んだ稲盛和夫(いなもり・かずお)は、2か月をかけて現場をまわり、社全体に経営意識が欠如していることに驚いた。経営幹部の中には、「JALは儲けてはいけない。安全運航が第一だ。あまり利益を上げると運輸省から運賃の値下げを求められる」との極論を言うものもいた。
「この会社には、商売人という感覚を持った人があまりにも少ない。こんなことでは、八百屋の経営もできない」と稲盛は前途多難を感じた。まず幹部社員に経営意識を徹底させることが必要だと切実に思った。
京セラから連れて行った腹心に、幹部社員50人を選ばせてリーダー研修会をセットさせる。研修会は6月から週五回、毎回3時間の研修を実施した。
週に一度は稲盛自身が講師をつとめ、経営のイロハを叩き込む。
「経営とは、売上を最大にして、経費を最小にすること。その差が利益ですから」。そんな当たり前のことから説く必要があった。これに対しても「経費を抑えろというが、航空事業では安全に直結する整備も重要だ。会長は経費削減と安全確保とどちらを優先させるのか」との反論も出たという。同社には、長年染みついた「親方日の丸」的体質とともに、1985年8月に起きたジャンボ機墜落惨事のトラウマが根強く残っている。それも相まって、「会長はコストカッターとして送り込まれてきた。業界事情をわかっていない」という反発も根強くあった。幹部社員を一堂に集めての研修は、安全運航管理のためにも問題があるとの声も出た。
数字が経営の基本
しかし、一月余りで17回という短期集中での研修、さらに高齢を推して真摯に向き合う稲盛の実績に基づいた熱弁に、最初はしらけていた会議室も、回を重ねるごとに、前向きな質問が出始める。「経営の基本は、正確な数字をリアルタイムで抑えることだ」という稲盛理論の根幹が共感を呼び始めたのだ。「そうか、それがわが社には欠けていたんだ」との声も出るようになる。
稲盛が強調したのは、彼が著書や講演で繰り返し語っている「7つの会計原則」だ。
① モノ・金の動きと伝票起票を1対1で直ちに対応させる。それによって、常に会計データが経営状況を正確に反映する。
② すべての業務プロセスで、複数人、複数部署のダブルチェックを行う。そうすれば、会計処理のごまかしが防げて、経営数値の信頼性が高まる。
③ 全社員が個人事情で誤魔化さず100%正しい数字を出す(完璧主義)。
④ 売り上げや利益を生まない余分な在庫や設備を一切持たない(筋肉質経営)
⑤ 全社員が経営者意識をもち、「売上最大、経費最小」を実践し、採算を向上させる。
⑥ お金の動きに基づいて、お金の動きと利益が直結するシンプルな経営を行う(キャッシュベース経営)
⑦ 全社員が自分の部門、会社全体の経営状況を共有する(ガラス張り経営)
社内の隅々まで意識改革
幹部社員研修の成果は大きかった。研修を終えた幹部は、それぞれの部署で、経営について部下に語り始める。経営リーダーとしての自覚が芽生えたのだ。さらに、本部制をとる同社で、それまで交流がなかった他部署の幹部同士が短期間に集中して、研修の席を同じくしたことで、それぞれが抱える事情にも目配りが始まり、社内に一体感を生み出すことにもつながった。
会長は優しいばかりの講師ではない。月例の経営会議では、納得のいかない経営数値には、とことん問い詰めた。「急にパイロットのヘッドセットの修理費が増えたのはなぜか」「売上が前月より落ちた理由は」。「季節変動です」「為替の変動があったので」などと答えようものなら、雷が落ちる。
「それでは答えにならない。きちんと分析しないと、次の手が打てないじゃないか!」。だれもが震え上がった。まかり通っていたお役所答弁は通用しない。研修は、実践が伴ってこそ意識改革につながる。
この研修は、約3,000人を対象にした管理職研修につながり、官僚体質が染み付いていた社員48,000人の巨体の隅々まで意識改革が進み始める。
いい意味で、JALの隅々まで、稲盛イズムに洗脳されていく。最初は反発していた幹部たちは、それぞれの部署で利益出しの工夫を始める。
しかし、JAL再生は緒についたばかり。経費削減、大胆なリストラの壁が待ち受けていた。(この項、次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考資料
『JALの奇跡 稲盛和夫の善き思いがもたらしたもの』大田嘉仁著 致知出版社
『稲盛和夫最後の闘い JAL再生にかけた経営者人生』大西康之著 日本経済新聞出版社