倒れた巨象
戦後の巨大企業倒産劇の中でも、日本航空(JAL)の破綻は衝撃的だった。戦後日本の復興と高度成長のシンボルだった優良企業が、2兆3000億円余りという戦後最大の負債を抱えて会社更生法の適用を東京地方裁判所に申請したのが、2010年(平成22年)1月19日のことだった。
どなたもご記憶に新しいことだろう。1987年に中曽根政権下で完全民営化に踏み切った後も、不況時には日本航空には政府が優先的に経営のテコ入れを図ってきた。その巨象が倒れたのである。世界を同時不況に陥れた米国発のリーマンショックの影響が続く中でのこと。だれもが、蓄積された巨額債務に驚き、経営再建は不可能と思った。
会社更生法申請と同時に日本航空の立て直しのために乗り込んだのが、一介の町工場を世界有数の優良企業に育て上げた、京セラ会長の稲盛和夫(いなもり・かずお)だった。稲盛が会長に就任して経営指揮を執る中で、日航は一年後には1800億円、二年後には2000億円を超える営業利益を上げるまでに急速に業績回復を果たした。
稲盛の再建策は単純なコストカットではなかった。企業のかたち、経営幹部、社員の意識を根本から変えることに成功したのだ。「成功方程式」で知られる稲盛は、巨大企業の隘路をどう見抜き、何を変えたのかを探ってみる。
JALが抱えるお役所体質
筆者は1991年、社会部記者として旧運輸省(現在の国土交通省)を担当していた。いわゆる当時の大手航空三社(日本航空=JAL、全日空=ANA、日本エアシステム=JAS)も主要な取材対象だった。同じ航空業界にありながら、三社の経営幹部、広報担当と話をしていても、その肌あいに大きな差があることに驚いたものだ。一言でいうと、JALには、他の二社にない「育ちの良さ」とともに、「お役所臭さ」が漂っていた。
JALは、1951年に占領軍による航空規制が解かれた後、国策として国内線運航を認められ、やがて国際線に進出する過程で、一貫してナショナル・フラッグ・キャリア(国を代表する航空会社)として、国の庇護のもとで国際企業として成長を遂げてきた。これに対して、ANAもJASもローカル路線を運航する小さな航空企業が統合を繰り返し、苦難の末に国内幹線航空路、国際線への道を開拓してきた。野武士のような逞しさを感じさせた。言い換えれば、工夫と機転、小回りの良さが、経営方針にも滲み出ている。率直にそう感じた。
ローカル航路主体の後発二社は、当初から、各地域の銀行、企業を乗客獲得の戦略に積極的に取り込み、営業、地上ハンドリングでも、地元財界の協力を重視した。民間の発想が生かされてきた。
またJALは、強大な労働組合を抱えて、首切り合理化がままならず人件費がかさんでいた。客室乗務員の給与は、他社の1.5倍あり、国際線のアテンダントの送迎には、自宅から成田空港までのタクシー利用が認められていると聞いて驚いたほどである。管理職の機長による機長会の権限も強く、勤務体制も会社の意のままにならなかった。
それでも、日本経済が右肩上がりのうちは航空需要も順調で、浮いた利益で国内外のホテル事業にも野放図な投資を重ね、花形産業として、弱点の改善には手がつけられず、経営不安は目に立たなかった。それがリーマンショックで航空需要が極端に落ち込むと、その弱点が一気に噴き出したのだった。
再建に取り組む経営の達人の怒声
その迷宮に、稲盛和夫は再建を目指して乗り込んだ。不退転の決意だった。「社会に対する最後のご奉公」と考える稲盛は、無報酬、成功報酬なしの条件を表明した。
「航空業界のど素人」を自認する稲盛は、会長職についてから半年間、現場を回った。整備工場、空港勤務の社員から、航空会社のシステム、問題点を丹念に聞いて回る。約100社の子会社、協力会社の経営陣からも経営状況を聞き、業界事情を把握した。
夏を迎えた。そして、稲盛は満を持して動き出す。東京・品川の本社役員会議室。約10億円の予算執行案件を淡々と説明する執行役員の話を遮った稲盛は、納得できないと怒鳴りつけた。
「あんたには10億円どころか、1銭も預けられませんな」
一座が凍り付く中で、執行役員は、「お言葉ですが会長、この案件はすでに予算として承認をいただいております」と反論する。
「予算だから必ずもらえると思ったら、大間違いだ。あんたはこの事業に自分の金で10億円を注ぎ込めるか?」
稲盛はさらに続けた。「この金は誰の金か?会社の金か?違う。この苦境の中で社員が地べたを這って出てきた利益だろう!」
この日から経営会議で、「予算だから消費するのが当たり前」という官僚的発想は消えた。自分で消化して説明することが求められるようになる。 (この項、次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考資料
『JALの奇跡 稲盛和夫の善き思いがもたらしたもの』大田嘉仁著 致知出版社
『稲盛和夫最後の闘い JAL再生にかけた経営者人生』大西康之著 日本経済新聞出版社