後継リーダーは世間を知らない
後継者問題で苦労した唐の皇帝・太宗(たいそう)は治世10年に、側近の宰相・房玄齢(ぼう・げんれい)にこんなことを愚痴っている。皇太子の李承乾(り・しょうけん)が次第に思い上がり、教育係の忠告も拒否しはじめたころである。
「乱を治めて新しい国を創業した歴代の君主たちは、みな民間で生まれ育ち世の中の実情をよく知っていたので破滅に至る者はまれだった。しかし、それを受け継いだ後継者は、へたをすると身を滅ぼしているものが多い。なぜかわかるか」
「さて、なぜでしょう」と房玄齢。
「後継ぎは、親が天下を取った後の生まれで、生まれながらに裕福で世の苦しみを知らないで育つからだ」という太宗は創業者の高祖とともに天下取りに奔走したから、いわば1.5代目のようなものだ。
「わしは若いころから多くの苦難を経験してきたから、天下のことはわかっているつもりだが、それでも足りないところがあるのではないかとつねに恐れている。ところがどうだ、同じ世代でも弟たちは、宮中の奥で生まれ育ち広い見識など持ちあわせていない。ましてや、わが子たちは、、、」
一族を率いる創業世代のリーダーの苦悩は、時代を超えて変わりがない。
「だから思うのだ。子弟たちには良い教育係を選任し、世間の人々と親しく接するようにさせ、過ちのないようにしてやらんとな」
太宗にとって、後継者教育の要点は、組織経営のテクニック以前に、坊ちゃん育ちにありがちな「世間知らず」の克服にあった。
皇子たちは教育してから地方へ出せ
中国古代の国家は、一族経営の組織だったから、地方長官(刺史=しし)は皇帝の子どもたちが派遣された。唐も秦の始皇帝以来の統治方針にならう。成人以前に、皇子たちに各州の刺史の位階を授けて送り込むこともあった。
現在の一族経営企業でいうと、主要部署長、関連会社の社長に創業者の子どもたちを送り込んで固めつつ経験を積ませるという図だろうか。下手な人事軋轢を生まずに組織を運営できるシステムではあるのだが、太宗のもとでは問題もあった。
地方から上がってくる不満の声を聞き、諌議大夫(かんぎたいふ)の褚遂良(ちょ・すいりょう)は太宗に上申する。
「身内で地方を統制されようとしているのでしょうが、問題があります」
「なぜだ」との問いに、褚遂良は説明する。
「州の刺史は人民の模範となり、人民がそれを見て安心する存在です。識見のある善人が刺史になれば州内は落ち着くのですが、もし任に耐えない人物が権力を振るえば、人民はみな疲弊します。陛下の身内で、まだ年若く民の統治ができない者は、まず都で教育を施すべきです。そして学習態度を見て、任務に堪えられるかどうかを見極めて赴任させるかどうか決めるべきです」
君主は舟、浮かべる水は民である
社員教育には口うるさいトップも、身内となると教育が甘くなるものだ。それを褚遂良は戒めた。太宗はこの意見を入れて、派遣前の身内への徳育と、それに基づく選抜を強化した。
では、太宗が後継者、子弟に施した徳育の要点とは何であったか?
前回のテーマだった後継者の選定で懲(こ)りた太宗は、のちに三代目の高宗となる九男の治(ち)を皇太子に据えて、自ら実地教育に乗り出した。
ともに食事をする際には、「飯とは何か知っているか」と問い、説いた。「これは人民が額に汗して作るものだ。だから農繁期に人民を使役にかりだしてはならぬ」
乗馬をしては、「馬とは何か」を説いた。「馬とはな、人に代わって働いてくれるものだ。こき使うだけではなく、たまに休息させてやることで、よく働いてくれるようになるのだ」
舟遊びをしては、こう言い聞かせた。
「たとえて言えば、舟は君主のようなものだ。その舟を浮かべる水こそが人民なのだ。水はよく舟を浮かべるが、ときに水は荒れて舟をひっくり返しもする。お前はやがて舟となる。決して水をあなどってはならんぞ」
思い上がることなく、思いやることを教えた。
さて、あなたが舟だとして、水とは何だろうか。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『貞観政要 全訳注』呉兢著 石見清裕訳注 講談社学術文庫
『貞観政要』呉兢著 守屋洋訳 ちくま学芸文庫