
経営学の巨人・野中郁次郎の軌跡
知識創造経営に代表される独自の理論で世界的に知られた経営学の泰斗、野中郁次郎先生が亡くなって1年近くになる。The Knowledge-Creating Company(1995年、Oxford University Press、日本語訳は『知識創造企業』東洋経済新報社)――暗黙知と形式知のダイナミックな相互変換に組織的知識創造の本質があることを見出し、それを理論化したSECIモデルは経営学のイノベーションにして金字塔だ。
それに先行する1984年、野中先生が中心となって当時所属していた防衛大学校社会科学教室の研究者たちと書いた『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』は、出版以来40年以上にわたって版を重ね、100万部を突破している。経営学書でこれほど多くの人に読み継がれている本は他にない。野中先生の研究は、学術的にはもちろん、実務家にも計り知れない影響を与えた。今月と来月の2回に分けて、この偉大な経営学者にして大先輩を僕の視点から振り返ってみたい。
情報処理パラダイムとの出会いと衝撃
先生と初めてお目にかかったのは、今から40年前、僕が大学三年生の時の野中先生の講義だった。当時、僕は先生の著書を3冊読んでいた。講義のテキストにもなっていた『経営管理』(1980年、日経文庫)、カリフォルニア大学バークレー校経営大学院時代の博士論文をベースにした『組織と市場』(1974年、千倉書房)、野中先生と神戸大学の加護野忠男先生、慶應大学の奥村昭博先生、僕のゼミの指導教官でいらした一橋大学の榊原清則先生、4人の共同研究の成果である『日米企業の経営比較』(1983年、日本経済新聞社)だ。
この3冊には共通点がある。いずれも当時の組織論研究において支配的だった「情報処理パラダイム」に基づいているということだ。パラダイムとは、ある分野で支配的な物事のとらえ方を意味している。情報処理パラダイムは、組織を情報処理の装置ととらえる。このパラダイムから生まれたのが、組織のコンティンジェンシー理論(条件適合理論)だ。
情報処理パラダイムとコンティンジェンシー理論が一世を風靡したのは、それが従前の管理原則の定立を目指す組織論を根本的に覆したからだ。古典的管理論は、軍隊の組織や官僚制組織の研究を通じて、「優れた組織の在り方」を究明するというスタンスを取っていた。これに対して情報処理パラダイムは、その組織が直面している情報処理の質量に応じて最適な組織の在り方が決まるのであって、一義的に「優れた組織」は存在しないと考えた。だとしたら、組織の効率や効果はその組織を取り巻く環境条件との適合関係に依存している――これがコンティンジェンシー理論の眼目だった。
野中先生の最初の著書である『組織と市場』は、コンティンジェンシー理論に基づく組織論研究の成果として高く評価されていた。日本の経営学で最初と言ってもよい本格的な実証研究で、環境の複雑性と不確実性によって組織の在り方が決まることを見事に示していた。『経営管理』は一般読者向けのテキストだが、議論の支柱はコンティンジェンシー理論だった。副題に「戦略的環境適応の理論」とあるように、『日米企業の経営比較』もまた情報処理パラダイムに立脚していた。それよりも前に書かれた名著『失敗の本質』にしても、日本軍の環境への過剰適応による組織的な硬直性に失敗の本質を求めている。その意味ではやはり組織の環境適応を基本的な視座としていた。
「情報処理」との決別:知識創造へのシフト
話を野中先生の講義に戻す。テキストの『経営管理』に沿って、管理原則を明らかにしようとした古典的管理論から、情報処理パラダイムの登場を経て、コンティンジェンシー理論に至る組織論の発展が講義された。ところが、講義の最終回に野中先生は突然こう宣言された。「情報処理パラダイムとは決別する」――先生の『組織と市場』を読んで情報処理パラダイムの説明力の高さに痺れていた僕は驚いた。「情報処理パラダイムは暗い。経営学はもっと明るいものでなければならない。これからは情報“創造”だ」――このときの衝撃は今でもはっきりと覚えている。
そのころ先生がお書きになった本に『企業進化論』(1985年、日本経済新聞社)がある。環境への受動的な適応ではなく、能動的な自己組織化による企業の進化という動学的なモデルへと踏み込んだ研究だった。副題は「情報創造のマネジメント」。「処理」よりも「創造」のほうが確かに明るい。ただ、この時点ではまだ「知識」という言葉は使われていない。
その後、マイケル・ポランニーの暗黙知の概念を取り込んだ『知識創造の経営』(1990年、日本経済新聞社)が出版され、暗黙知と形式知の相互変換という知識創造理論の原型が出来上がる。さらに5年後のThe Knowledge-Creating Companyで、情報処理に代わる知識創造という新しいパラダイムが確立した。この後の野中先生の研究の進化の軌跡はここで説明するまでもない。
「経営学は明るい」野中理論が示した未来
「経営学は明るいものでなければならない」――今にして思えば、この言葉にその後の野中理論の本質が凝縮されている。個人と組織が渦を巻くようにダイナミックな相互作用を起こし、それがより高次の知識を創造する――SECIモデルを中核とする知識経営はひたすら明るい理論だ。野中先生の知識経営の理論がこれほどまでに広く深いインパクトを与えたのも、その根底にある明るさが多くの人々を惹きつけたからだと思う。



































