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- 故事成語に学ぶ(18)民に蔵して府庫に蔵せず
強敵に対応するには
紀元前5世紀の春秋時代末期の中国で、中原を占める大国の晋は四分五裂の状況だった。その中で智謀にたけた智伯(ちはく)は、韓氏と魏氏に領地割譲の圧力をかけて味方に引き入れ、領地割譲を拒否した趙氏を連合軍で攻めることになった。趙の殿様、襄子(じょうし)は、臣下の張孟談(ちょうもうだん)を呼んで対策を練った。
「敵は大軍だ。どこを拠点に迎え撃てばいいか?」
張孟談は、「晋陽の城がよろしいでしょう。歴代、人並み優れた人物が治めておりましたから」と進言した。
蓄えのない城に慌てる
籠城戦を覚悟して晋陽に乗り込んだ襄子は早速、城郭や倉庫を見て回って慌てた。城郭は傷んでいて、穀倉の中にも何もない。金庫には戦費の蓄えもなく、武器庫も空っぽだった。恐れをなした襄子は張孟談を呼び詰問する。
「どういうことだ。これでどうやって連合軍を迎え撃つというのだ」
張は平然として答える。
「聖人の統治というものは、〈民に蔵して府庫に蔵せず〉(人民に蓄えさせて、政府の倉庫には蓄えない)と申します。人民の教育に手を尽くして城郭には手をかけないものです。殿は次のように命令を出せばいいのです」
一、それぞれの家は三年分の食料と金銭を取り置いて残りを国倉に納めよ。
一、手のあるものは、城郭の修理に馳せ参じよ。
助言に従って襄子が命令を発すると、翌日には、食料庫も金庫も武器庫も満杯となった。五日めには城郭の修理も終わった。見当たらない矢も、有事に備えて役所の生垣に植えてあった笹竹と、建物の土台として蓄えてあった銅であっという間に整った。
目に見える蓄財より民を養え
これこそが「組織経営」というものなのだ。トップが目に見える利益の追求と蓄財に邁進し、豪邸住まいを自慢するようでは組織は、会社は動かない。
厳しく年貢を取り立てなかった住民本位の善政があったからこそ、有事に人民は、喜んでモノと金を拠出する。何よりも心を一つにして難敵に当たることもできる。
さらには、そうしたトップであればこそ張孟談や目には見えない堅城を築いてきた歴代の領主のような賢臣を抱えることができる。
さて、準備の整った晋陽の城のその後である。智伯の連合軍は、城が堅固であると見るや、周囲の大河の堤を切って水攻めにした。将兵、人民たちは木の上に避難し、樹上で煮炊きをして凌ぎ、耐えた。そして攻防戦は三年を過ぎた。
(この項、次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『中国の思想1 韓非子』西野広祥・市川宏訳 徳間書店