今回は、女性社員が退職を考えることになるかもしれない切実な事情についてとりあげます。
働きながら不妊治療をしている女性のうち、95.6%が仕事と治療の両立は難しいと考えており1)、実際、23%が退職を余儀なくされているそうです2)。
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原田社長: 賛多先生、困りました。うちの経理業務を一手に担っている女性社員が辞めたいと申し出てきたので、私がよくよく理由を尋ねたら、「不妊治療に専念したい」ということなのです。不妊治療は仕事を辞めなければならないほど大変なことなのでしょうか。
賛多弁護士: 不妊治療による負担や仕事への制約は、治療の種類やクリニックの事情にもよりますし、仕事のやり方や職場の状況にも関係があるかもしれません。仕事との両立が難しいと考えている理由や仕事と両立するために何が必要かなどについて、本人とよく話し合ってみたらいかがでしょうか。不妊治療の実際や仕事との両立に必要な情報3)を調べて、共有すると良いでしょう。
原田社長: はい、是非そうするようにします。
賛多弁護士: それでも、よく理由を話してくれましたね。社長を信頼してくれたのでしょう。本人のプライバシーや心情にも配慮するようにしてください。
原田社長: そのとおりですね。周囲の社員に不妊治療への理解があるとは限りませんから。
賛多弁護士: そこは重要なポイントです。子どもを簡単に授かった方、子どもを授かることができなかった方、そもそも子どもは要らないと思っている方など、同じ女性でも経験や価値観は様々でしょう。不妊治療がここまで一般化していなかった上の世代でも、知識が不足していると思われます。
原田社長: 社員の多様性に対する会社の方針をしっかり示さなければなりませんし、他人の多様性を学ぶ機会を提供する研修も会社として実施しなければなりませんね。
賛多弁護士: 今や、ある調査4)によると、不妊の心配をしたことのある夫婦は3組に1組を超え、実際に検査や治療を受けたことがあるのは5組に1組にのぼるそうです。この割合は、今後、急増するかもしれません。
原田社長: それは、何故でしょうか。
賛多弁護士: 妊婦さんは新型コロナ感染症の重症化リスクが高いとされていましたので、コロナ禍のもとでは妊娠を控える方が少なくなかったようです。しかし、コロナ禍がある程度は落ち着きながらも長期化する一方、妊孕性(にんようせい)、つまり妊娠のしやすさは、年齢の影響を大きく受けますので、もう待ってはいられないと思う方が増えるでしょう。
さらに、来年(2022年)4月からは、不妊治療のうち、これまで保険が適用されていなかった人工授精、体外受精、顕微授精など高度な生殖補助医療(ART)にも保険が適用されるようになる見込みです5)。
原田社長: これは、事業にとって大きなインパクトになりそうです。
そもそも一人の社員に業務を集中させたのが間違いでした。これを機会に、業務をチームで担うようにし、他の社員がいつでも業務の分担や交代をできるように多能工化を進めるようにします。治療などの制約があっても仕事が続けやすくなるように、テレワークの体制やシステムも引き続き整備します。
賛多弁護士: おっしゃるとおりです。人材や資金が限られる中小企業でそれは大変なことでしょうが、そうであるからこそ進めなければならないことですね。
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厚生労働省は、昨年(2020年)6月から、事業主に対するマタハラ防止指針の中で、「不妊治療に対する否定的な言動」を行わないように求めるようになりました。同時期に出されたパワハラ指針でも、本人の了解を得ずに他の労働者に暴露するとパワハラ類型の1つ「個の侵害」に該当することになる「機微な個人情報」として、「性的指向・性自認や病歴、不妊治療」と例示しています6)。
不妊治療についての正しい情報の収集と社員への教育啓発も、すべての事業主の急務と言えるでしょう。
1)特定非営利活動法人Fine(ファイン)「不妊白書2018」
http://j-fine.jp/activity/hakusyo/index.html
2)厚生労働省「不妊治療と仕事の両立に係る諸問題についての総合的調査事業」調査結果報告書
https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000197936.html
3)さんぎょうい株式会社「不妊治療と就労の両立支援 情報サイト ~PEARL(パール)~」
https://jpearl.jp/
4)国立社会保障・人口問題研究所「2015年社会保障・人口問題基本調査<結婚と出産に関する全国調査>第15回出生動向基本調査」結果の概要
http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou15/NFS15_gaiyou.pdf
5)厚生労働省作成スライド「不妊治療の保険適用について」(令和3年10月7日)
https://www.mhlw.go.jp/content/12401000/000840271.pdf
6)厚生労働省 都道府県労働局雇用環境・均等部(室)「職場におけるパワーハラスメント対策が事業主の義務になりました︕ ~ ~ セクシュアルハラスメント対策や妊娠・出産・育児休業等に関するハラスメント対策とともに対応をお願いします ~~」(令和2年2月)
https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000611025.pdf
その他の資料
● 厚生労働省「令和2年度 こども・子育て支援推進調査研究事業 不妊治療の実
態に関する調査研究」(2021 年3 月)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/boshi-hoken/funin-01.html
執筆:鳥飼総合法律事務所 弁護士 小島健一