今回のシリーズでは、時代を乗り越えて企業を守り発展させるための知恵を、財閥企業の実践例を通して探る。
三井高利の斬新商法
現在の三井グループの発展の基礎は、伊勢国(現三重県)の松阪で味噌・醤油を商っていた三井高利(たかとし)が延宝元年(1673年)に江戸へ出て、わずかな元手で呉服商「越後屋」を開いたことに始まった。才気に富む高利による越後屋の商法は斬新で画期的なものだった。前もって客の注文を聞いてツケ売りで届ける従来の常識を打ち破り、店頭での対面販売で現金正価によって売りさばいた。従来の季節払いのツケ売りでは、金利分は販売価格に上乗せされ、買い手の負担になっていたが、現金販売は価格の値下げにもつながる。
江戸にひしめく老舗の呉服店は、既存の商秩序を乱す越後屋商法に対してさまざまな嫌がらせと妨害に出たが、価格破壊は江戸庶民の強い支持を得る。また現金売りは資金の回転を早めて商いは拡大した。高利は余裕の出た資金を活用して両替商にも進出し、江戸と京都・大坂間の取引の為替も取り仕切るようになり、一代で巨万の富を築いた。
分家制度と「総有制」
子沢山だった高利は、長男の高平(たかひら)を総領家とする本家筋の6家と、養子筋の連家の3家を定めて相続関係を明確にした。9家の連合体である三井一族(のちに多少の異動があって11家となる)の結束を促した。
そして高利は、死に際してすべての資産を長男以下に割り当て分割相続するように言い残した。しかし、それでは分割されて各家が引き継ぐ商売は縮小してしまう。子どもたちが下した決断は、意外なことにさらに発展的なものだった。
父の遺志に背いて資産を分割せず一族の所有とし、可能な限り協力して共同事業を維持することとし誓約を交わした。目先の相続資産を受け取るよりも、父が築いた事業をそのままの形でグループとして引き継ぎ、スケールメリットを維持する方を優先する選択をしたのだ。
「総有」と呼ばれるこの三井家独自の資産共同運用・管理制度が、江戸期を通じて三井家が経営危機を乗り切り、三井家事業の存続と発展を保証する枠組みとして機能する。経営思想としては、現在の三井グループにも引き継がれている。
大元方の設置
創業二代目の総帥としてグループ企業である三井を率いることになった高平は、共同運営を実のあるものとすべく、統治運営システムに工夫を施している。三井一族が展開する全事業を統括する「大元方(おおもとかた)」という機関を設置する。
資本は大元方にまとめて財産管理され、そこから、それぞれの事業店舗に「元建(もとだて=資本金)」が出資される。各事業店舗は半期ごとに、利益に応じた上納金を大元方に納める。三井一族の生活費も大元方から支給されたのだ。さらに、各店舗が上納金を納めた後に残る利益は店に運転資金としてプールしておき、3年ごとに決算して9割を大元方に戻し、残る1割は、店員にボーナスとして支給された。
ということは、大元方とは、現代でいう持株会社、ホールディングカンパニーにあたる存在なのだ。
初代が独創的アイディアで事業の基礎を大きく築き、二代目が知恵を駆使して事業運営を軌道に乗せる安定したシステムを構築する。飛躍する企業の理想的な誕生をここに見る気がする。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』菊地浩之著 平凡社新書
『三井財閥の人びと 家族と経営者』安岡重明編著 同文館出版
三井広報委員会ホームページ