昭和30年代に小学生だった人なら、給食で飲まされた経験のある脱脂粉乳にまつわる話である。
昭和30年3月1日午後から2日にかけて、東京都内の児童ら1,936人が、相次いで激しい嘔吐や下痢、腹痛などの食中毒症状を起こした。
給食に出された脱脂粉乳が原因として疑われたが、製造した雪印乳業(現雪印メグミルク)は当初、会見で「厳重な出荷検査をしているので製品に間違いはない」と強気の対応を見せた。
しかし、翌3日になって、保健所の検査で、問題の脱脂粉乳から溶血性ブドウ球菌が検出されると、佐藤貢社長の対応は素早かった。
即座に製品の販売停止と回収を指示し、新聞各紙に謝罪広告を載せる。そして社長自らが工場で原因調査に当たった。
製品を出荷した北海道八雲工場の生産ラインで、停電と機械故障が重なり、原因菌が増殖したことがわかった。前日残った牛乳を使い回ししていたことも判明した。
対応が一段落すると、佐藤社長は問題を起こした八雲工場に全従業員を集め、「品質によって失った名誉は、品質をもって回復する以外に道はない」として、次のように訓示した。
「信用を獲得するには長い年月を要し、これを失墜するのは一瞬である。そして信用は金銭で買うことはできない」
「機械は、これを使う人によってよい製品を生産し、あるいは不良品を生産する。機械は人間の精神と技術をそのまま製品に反映する」「今回の問題は当社の将来に対して幾多の尊い教訓をわれわれに与えている」
訓示を受けて「すみませんでした」と泣きじゃくり土下座する製造課長を抱き上げた社長は、「これからが大事なんだよ」と諭した。
同社は、衛生管理、検査部門を独立させ、検査網を強化した。同時に衛生教育を徹底させた。安全管理マニュアルも整備した。
しかし、佐藤社長が強調し求めたのは、まさに、それを実行する従業員の高い意識だった。
製品事故は起こしたが、報じられる一連の雪印の対応は好感をもって消費者に受け入れられ、この年の売上は増えた。
社長訓示は「全社員に告ぐ」と題されて全従業員と、翌年からは新入社員にも配られ、社訓となって受け継がれていった。
それから45年過ぎた2000年6月、雪印は「低脂肪乳」を原因とする被害者14,780人に及ぶ大食中毒事件を起こす。
その対応のまずさが、押しも押されもせぬ世界ブランドに成長した雪印を揺さぶることになる。 (この項、次週も続く)