第二次ポエニ戦争は、南イタリアに拠点を築いたハンニバル軍と、遠巻きにして圧迫するローマ軍との間で小競り合いを繰り返しながらも奇妙な均衡状態が続いていた。
戦いがはじまって七年。事態は遠くスペインから動き始めた。
イタリアに侵入したハンニバルの出発地であるスペインには、数万のカルタゴ軍が残されていた。
この残留軍がハンニバルと合流し共同作戦をとれば、やっかいなことになる。ローマ軍は重要な第二戦線であるスペインで有利に戦いを進め、敵を封じ込めてきた。
紀元前211年、スペイン戦線で軍を指揮するプブリウス・コルネリウスと弟が、マッシリア騎兵の待ち伏せにあい戦死してしまった。ローマのスペイン封じ込め戦略は瓦解の危機に直面する。
その時、一人の若者が元老院に直訴した。「父の仇を討つ。スペインに送り出してほしい」。プブリウスの子、スキピオであった。
スキピオはこの時、24歳。軍を指揮するには若すぎる。しかし他に人物もない。元老院はこの若者にローマの命運を託した。
カルタゴ軍の強さは、状況に応じて歩兵と騎兵を自由自在に操るその機動性にある、と若者は見ていた。
とくに敵の主力である北アフリカ出身のヌミディア騎兵を無力化できれば勝算はある、と。
二年後、実戦で試す機会が訪れた。スペイン地中海に面した港町、新カルタゴの城塞を、守りの手薄な側面の潟から奇襲し攻略した。
さらにバエクラ、イリバの二度の会戦では、ハンニバルばりの包囲戦術で騎兵の動きを封じてカルタゴ軍を撃滅する。
かつての従軍経験で敗戦から多くを学び、いま実践してみせた。主力の重装歩兵で押すだけの戦法からの転換である。
この間、捕らえた敵兵のうち、アフリカからのカルタゴ兵は捕虜としたが、スペインの傭兵は故郷の村へ返した。扱いを分けたのもハンニバル流だ。現地での味方を増やすことになる。
ある日、捕虜の中に高貴な顔付きの少年がいるのに気づいたスキピオは、尋ねる。
「だれの身内か」。少年は答える。「叔父はマッシリア王子のマシニッサと申します」
マシニッサ。父を待ち伏せて殺した騎兵の隊長だ。スキピオは憎しみを押し殺して、少年を丁重に仇敵マシニッサのもとに送り届けた。
「いずれ効果を現すはずだ」。非凡なる若き将軍は確信していた。 (この項、次週へ続く)