首相田中角栄が必死の覚悟で北京に乗り込んだ日中国交正常化交渉の最大の危機は、早くも初日に訪れた。
9月25日、第一回会談のあと、同日夕刻から人民大会堂での歓迎夕食会でのこと。
まず挨拶に立った中国首相の周恩来は、日中の不幸な戦争の歴史に触れた上で、「しかし私は、われわれ双方が努力し、十分に話し合い、小異を残して大同を求めることによって、中日国交正常化はかならず実現できるものと確信しています」と結んだ。
続いて立った田中の挨拶に700人を超える参加者のうち、中国側の席はざわつき、やがて凍りついた。田中が日中戦争についての反省を述べた中で、「この間わが国が中国国民に多大の迷惑をおかけした」との表現が問題となったのだ。
日本人にしてみれば、思い切った謝罪なのだが、中国人の受け止め方は違った。問題は「迷惑をかけた」の表現を、日本側通訳が「添了麻煩」と訳したことにあった。
その中国語は、「ごめんね」程度の軽い表現なのだ。
翌日の第二回首脳会談の冒頭、周恩来は、笑顔も見せず田中に鋭く言い放った。
「田中総理は昨日の夕食会で『添了麻煩』と挨拶された。これは道端でうっかり女性のスカートに水をかけた、その程度の非をわびることでしかない。日本側は両国の不幸な過去をその程度としか認識していないのか」
田中は頭を抱えることになる。
周の怒りには伏線があった。この日の首脳会談に先立つ外相会談で、日本側の外務省条約局長が、「(台湾との間に交わした)日華条約の廃棄は法理上でできない。自然消滅するだけだ」との原則にこだわったのだ。
「日中正常化は政治問題です。それを法律論でやろうとするのは間違いだ。そういう輩は、(法律をこねくりまわすだけの)法匪というのだ」。周の怒りは収まらず交渉は暗礁に乗り上げた。
田中も国内の反対論を意識して安易な妥協は許されないが、周は周で文化大革命のさなかで微妙な立場にある。日本への安易な譲歩は政治生命を失わせることになる。
「小異を残して大同に就く」と周は交渉を通じて主張した。「大同」は、双方が希求する日中国交正常化の一点にある。その実現のために相手のメンツを慮ることが求められる。これが政治場面でも経済場面でも中国との交渉の要点である。
その智恵が問われることになる。 (この項、次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
『早坂茂三の「田中角栄」回想録』早坂茂三著 小学館
『田中政権・八八六日』中野士朗著 行政問題研究所
『田中角栄の資源戦争』山岡淳一郎著 草思社文庫
『記録と考証 日中国交正常化・日中平和有効条約締結交渉』石井明ら編 岩波書店
『求同存異』鬼頭春樹著 NHK出版