第二次世界大戦後の日本外交の懸案であった日中関係の正常化に関
1972年(昭和47年)9月29日、
後日、外相の大平正芳は、「戦後、
世界史的視点で時代を見据え、北京に飛んだ田中、
対中賠償問題は、中国首相の周恩来が、「われわれはこれまでに、
台湾問題でも中国は「一つの中国」を日本に飲ませ、
双方が譲るべきは譲り、実を取った形となっている。
しかし、重要な問題が取り残された。
三日目の首脳会談で田中は、
六年後に訪日した中国副首相の鄧小平も、「
中国は、周辺海域で領海侵犯を繰返し、
中国には、「求同存異」という言葉がある。
「小異を残して大同につく」、交渉・妥協の要点である。
交渉においては、一旦残した「小異」がやがて、両者が激突する「
そうならぬようにする智恵はまさに、交渉妥結後、
「小異」は捨てて消えるものではないのだ。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
参考文献
『早坂茂三の「田中角栄」回想録』早坂茂三著 小学館
『田中政権・八八六日』中野士朗著 行政問題研究所
『田中角栄の資源戦争』山岡淳一郎著 草思社文庫
『記録と考証 日中国交正常化・日中平和有効条約締結交渉』石井明ら編 岩波書店
『求同存異』鬼頭春樹著 NHK出版