【意味】
自分より年下の者を畏敬し、後に生まれてくる者を未熟者として卑下するな。
【解説】
一定の年齢になると、未来変化に追いつけない不安感情から、「この頃の若者は・・」という若者批判の言葉が出てしまいます。自分の若い時の未熟さを忘れての批判では困りますが、歳が離れていれば生きる時代も違い、考えが異なるのも仕方がない面もあります。
掲句は年配者に対する戒めの言葉ですが、若年者側も年配者側に合わせる余裕を持ちたいものです。俗諺に「子供叱るな、来た道ぞ。年寄り叱るな、行く道ぞ」とありますが、自分の立場が上だと思いますと、どうしても叱り言葉や見下し言葉が出やすくなります。
人間は一回限りの掛け替えのない人生を歩んでいますから、時々視点を変えて「自分の命」を眺めることが大切です。不思議なことに「命の見方」が変わりますと「人生の視野」も広がり、見えなかったものが見えて人生観が一変するような場合もあります。
(注:できれば数か月を掛けて坐禅をし、「我命根源」に取り組むとよいでしょう。取り敢えずこの紙上では、以下の(1)と(2)の見方を比較してみますから、参考にしてください)
(1)まず80年の一限人生から、我が命を見てみます。この一限人生期間の中に、男女の別の生を受け、青年・壮年・老年の人生時期を過ごし、幸せを求めて喜び、悲しみに涙します。特に最近の経済社会では「幸せ=金銭又は利益」と考えますから、「金欲しさの欲望人生」となり、あくせくした日々の一生を送ることになりかねません。
(2)これに対して、人類の歴史の中から自分の命を眺めてみますと、その視界は一変します。人類は猿族から進化し700万年が経過しました。地球誕生以来の46億年から見れば700万年はほんの一瞬ですが、各人の80年人生から見れば何万代の生死の繰り返しになります。
そして当り前のことですが、我々は700万年の永い歴史の最先端に生き、たった一つしかない地球星の上で生活しています。現在の地球人口は73億人と云われますが、その人々と手を携えて「人類の未来を築くべく大きな使命」を担って生きているのです。
もし我々現代人が下手な生き方をすれば、人類の未来は暗くなります。上手に生きれば人類の未来は明るくなり、人類子孫の幸不幸は我々の現在に掛かっているとなれば、自分の生き方に責任が生まれ緊張感のある一生を送れることになるでしょう。
人類の歩みを地球星での進行形として捉えますと、地球人の生きる姿勢としては、(1)老若男女が共にいたわり尊敬し合い、(2)人類や地球の破壊に繋がる戦争を止め、(3)地球星の自然環境を保つことになります。これらは当然の地球人相互の人類愛ということです。すると掲句も孔子様からの人類相互愛の教えと理解できます。
「聖人は、九族(九代)を親しむ」(言志四録)とあります。孔子のような聖人君子は、自分の世代を中心に前後4世代の9世代を考えるといいますが、一世代25年としますと先祖から子孫の(※注)225年に思いが及ぶということになります。
(※注)225年=(前4代×25年)+(自分世代25年)+(後4代×25年)