【意味】
生前は父の志を理解し、没後は生存中の功績を思い出す。
【解説】
かつて日本帝国を支えるために、国家強制の道徳思想として「忠孝一本」ということが唱えられました。
「忠孝一本」とは、君主に対する忠義と親に対する孝行は両立されるべきものだということです。両者の両立に矛盾が生じるような場合には、『孝』を優先しなさいというのが儒教のスタンスです。
ですから、国への忠誠を法律で規制し、家族の規律を孝の道徳律で強制した政府の方針は間違っていなかったのでしょうが、日本の場合は、どこでどう間違ったか『忠』が優先されることになってしまいました。
その結果が先の大戦であるという反省から、戦後の思想改革では、個人の権利主義と平等主義が中心となって、家族の愛情も親から子への養育義務だけが残り、子供から親への孝行の義務は希薄になってしまいました。
そんな時代に、大河ドラマで平清盛が採り上げられて、「忠ならんと欲すれば則ち孝ならず。孝ならんと欲すれば則ち忠ならず」という平重盛の名セリフに注目が集まったのは、因果なものです。今の世の中に警戒を鳴らそうとする作者の意図があったのかもしれません。
『孝』は論語の教えの中でも最も重要な項目の1つです。
孔子さまの考える『孝』は、後々の日本儒教に見られる父権社会の維持を目的としたものではなく、次のような家族愛が基本になります。
「父母の年(年齢)は知らざるべからず」
「父母在らば遊べば必ず方(連絡すること)あり」
「父母は唯その疾(病気)をこれ憂う」
私事で恐縮ですが、これらの言葉に刺激を受けて、父87歳の時に手紙で「孝男」という名前を付けてくれたお礼を述べました。
手紙を書いてみて、父がこのような人間学に通じる名前を付けてくれた真意がわかったような気がしたのです。
『孝』というのは、単なる親孝行ではなく、見知らぬ代からの祖先より受け継ぎ、更にまだ見ぬ未来の子孫に受け継がせるもの。人間種族が永遠に伝え続けるべき徳目です。
そういった意味では、『孝』という眼目は親が生きている間よりも、亡くなった後の方がより重要だというように考えられます。
ここ数十年、日課として朝夕、神棚に向かってお世話になった方々に感謝の意を述べていますが、毎日毎日想いを確かめるという意味で、立派な孝行ができていると考えます。
そう想いながら、今日も神棚のお水を換えて、大きく柏手を打つのです。