強国に取り巻かれた砂漠の都市国家
紀元前2世紀から約400年間、中東のアラビア半島に、ナバテアという小さな王国があった。人口は最盛期で20万人ほどで。都は現在のヨルダン西部の砂漠地帯にあるペトラだ。砂漠にそびえる岩山に造られた隠し砦のような都市で、栄華を誇ったその岩窟都市の跡は世界遺産に指定されている。映画好きなら、「インディジョーンズ最後の聖戦」の舞台としておなじみだろう。左右に高さ数十メートルの断崖が垂直に切り立つ底の幅数メートルの回廊をインディが馬で進むと、突如岩に掘られた宮殿が現れる。
遊牧民族のナバタイ人たちは、ペトラを中心に東西南北に通商路を開き、東はペルシャからインド、また、シルクロードから、キャラバン隊が物資を運送する要路を抑えていた。ナバテア王国には、通商関税の徴収を通じて莫大な富がもたらされる。
だが紀元前後のこの地域は、膨張する周辺国家の勢力が激突する不安定な情勢にあった。西には地中海世界の覇権を確立しつつあった古代ローマが帝国を築きつつあり、東北のイラン高原には軍事強国のパルティア(ペルシャ)がいる。南方にはクレオパトラに繋がるプトレマイオス朝のエジプトもアラビア半島の利権拡大に乗り出している。
強国の思惑が交錯する中で、ナバテアは微妙な外交の舵取りが求められた。
通商路の確保が最大の国益
交易の“テラ銭”で国家が成り立っているナバテア王国にとって通商路の確保が最大の国益である。東方からは、地中海世界が求める香料、絹がナバテアを経由して、現在イスラエルとパレスチナの紛争地となっているガザの港から地中海に荷出しされる。逆のルートで工芸品、農業産品が東に運ばれる。この通商ルートが途絶えれば国は滅びる。
同じく通商国の日本にとってのシーレーン確保である。日本にとっての最小限の海上戦力は、その任務にあたっている。人口10―20万人のナバテアにとって、常備兵力は約2万人。地中海沿岸各地に展開するローマ軍25万、パルティアの常備軍100―200万人と太刀打ちできる数ではない。キャラバンルートの安全確保が小さな軍の役割だった。戦う軍は持たなかった。
ちなみに、太平洋戦争において、米国の石油禁輸措置を取られた日本が対米開戦に踏み切ったのは、東南アジアからの原油供給で持ちこたえられると踏んだからだ。ところが、現実には、台湾とインドネシア、フィリピンを結ぶ交易海路を行く輸送船団は米軍潜水艦によって次々に沈められ、南方からの原油輸送は計画の1割にも満たず、この時点で日本の敗戦は決定していた。交易路の確保は、それだけ資源のない国にとって生命線だ。そのことをナバテアは熟知していた。
ポンペイウスのローマ軍侵攻
ナバテアにとって、もう一つ大きな護るべき国益があった。領土内の死海から自然湧出する瀝青(れきせい=アスファルト)だった。古代において瀝青は貴重資源だった。接着剤としてまた造船の防水材料として地中海世界で珍重され高価で取引された。現在のレアメタルのようなものだ。ナバテアはその採取権を独占し、莫大な富を得ていた。パレスチナ地域はナバテアの死活を制する土地だった。
紀元前64年、西方世界への属州拡大を目指すローマの将軍ポンペイウスの軍がオリエント地域に大軍を進めた。翌年、トルコ、シリアを征服したポンペイウスは、内紛で揺れるユダヤ人のエルサレムを包囲する。内紛に介入してエルサレムに軍を率いて立て籠っていたナバテア王・アレタス3世は悩む。死海の瀝青利権を手放すわけにはいかない。だが勝ち目はない。
ナバテア軍は包囲網をかいくぐってエルサレムを脱出して、ペトラの都に逃げ帰る。後を追うローマ軍が追い詰める。
ここからアレタス3世は、国の生き残りを賭けた見事な外交戦を展開すことになる。(この項、次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考資料
「ローマ人の物語 Ⅳ」塩野七生著 新潮社























