薄煕来氏は中央政府の主要幹部ではなく、あくまでも地方実力者である。まずこれまで中国の地方実力者が失脚した場合、中国経済への影響を検証しよう。
図1は陳希同・北京市書記が失脚した前後、北京市と中国全体の経済成長率の推移を示すグラフである。陳希同氏が失脚したのは1996年。この年、北京市のGDP成長率は9.2%で、95年の12.4%より3ポイント以上低下した。その後、北京市経済は回復し、99年まで3年連続で成長率が上昇した。つまり、陳希同失脚は北京市経済にダメージを与えたのは確かだが、その影響は一時的なものにとどまったと言える。
図2は陳良宇・上海市書記失脚前後の上海市と中国全体の経済成長率の推移を示すグラフである。図の通り、陳良宇失脚の2006年、上海市のGDP成長率は9.8%、翌年の07年は11.8%、いずれも失脚前の2005年(8.8%)より高かった。
中国全体も06年12.7%、07年14.2%と、95年より高い。つまり、陳良宇・上海市書記失脚は上海市にも中国経済全体にも一時的な影響さえなかったのである。
なお、中国経済全体への影響はほとんどないと、筆者は見ている。中国経済の成長率は2011年9.2%から今年の8%前後に減速する見通しだが、これは薄煕来失脚の影響ではなく、ユーロ危機の影響だと思う。
それでは「親日派」と言われる薄煕来氏の失脚は日本企業の中国ビジネスに影響を与えるでしょうか?
薄氏は大連市長時代、積極的に日本企業を誘致し、投資環境の整備に注力してきた。商務大臣在任中の2005年に、中国の若者たちは当時の小泉首相の靖国参拝に反発し、各地で反日デモや日本製品不買運動を起こした。その際、薄氏は日本製品の不買運動に対し、「日中双方にとって不利益になる」と訴えた。2007年重慶市書記就任後、ローソンなど日本企業の重慶進出に力を入れた。この意味では、薄煕来氏は「親日派」と言われて、過言ではない。
「親日派」薄煕来の失脚によって、日本企業は「後ろ盾」を失うのではないかと懸念する声が出ている。この心配は理解できるが、実際は不要と思う。改革・開放は中国の国策であり、誰が薄煕来氏の後任になっても、改革・開放政策を続行させ、日本企業との良好な関係を保つだろう。これは中国と重慶市の経済発展のためになるからだ。
実際、薄煕来失脚後、重慶市長が最初に会談した外国ミッションは日本からの訪中団である。3月19日、薄失脚4日後、重慶市長黄奇帆氏は中小企業庁長官鈴木正徳を団長とする日本中小企業訪中団と会談し、日本中小企業との交流・協力をさらに強化する意向を示した。薄煕来の後任である張徳江副首相兼重慶市書記も日本企業の重慶進出を歓迎する意向を重ねて示している。
要するに、薄煕来失脚は、あくまでも中国の内政であり、対外関係に影響することや日本企業の中国ビジネスに打撃を与えることなんか、とうてい考えにくい。