中国同盟会結成
中国と台湾の間の対立が鮮明化しつつあるが、ともに、清朝の専制体制を打ち倒した辛亥革命の立役者である孫文を建国の父として讃えている。中国の習近平国家主席が「中国共産党こそ孫文の最も忠実な継承者だ」と主張する一方で、台湾側も「孫文の継承者は(台湾の)国民党」であるとして譲らない。孫文がたどった新国家建設に向けた政治的決断の道をたどってみる。
1866年に広東省に農業のかたわら靴職人の出稼ぎに出かけていた父のもと、貧しい家庭に育った。華僑として成功した兄を頼って12歳でハワイへ渡り、その後、香港の医学校を卒業した。若くして西洋文化に触れ、中国の後進性を意識せざるを得なかった。
旧態依然とした清朝を打倒して近代的な共和国に生まれ変わるしか欧州各国の半植民地となった祖国が生き残る道はないと確信し、仲間と広州での武装蜂起を計画する。しかし事前に情報が漏れて孫文はお尋ね者として日本、ハワイ、アメリカ、英国を放浪する。
各地で祖国からの留学生や華僑たちと接触して体制への不満の高揚を肌身で感じた。また各国で中国革命への支援を訴えて回り、支援者のネットワークを築いてゆく。とくに日本では、思想家の宮崎滔天(みやざき・とうてん)と知り合い支援を取りつけた。
1905年7月、ヨーロッパ各地を遍歴していた孫文は、日露戦争での日本の勝利でアジア各地の独立運動が高揚しているのを感じ取り、日本に戻る。滔天と連絡をとり、全中国的な本格的革命組織の必要性を打ち明けた。宮崎のもとには、さまざまな中国人の反体制勢力が訪れていた。孫文はそれぞれの指導者たちと合い、組織の連合を協議する。
そして同月30日、「大アジア主義」を掲げる右翼組織「黒龍会」を率いていた内田良平(うちだ・りょうへい)の自宅で、各組織のリーダー70人の中国人たちが一堂に会して全国的な革命組織として、「中国同盟会」の結成が決まった。
翌月、結成大会が開かれ孫文が総理(代表)に就任した。ここに中国革命の一歩が踏み出される。誕生の地は日本、東京だった。
路線対立
滔天は、初めて孫文と会った時のことを、「なんとも貫禄不足だと思った」と振り返っているが、「清朝打倒」の話になると一気に弁は熱を帯び「これこそアジアの珍宝だ、と感激した」と評価している。
「(清朝を倒して中国を再生すれば)、中国四億の民を救うばかりか、アジアの黄色人種の屈辱をすすぐことになるのだ」。これが滔天、内田良平ら日本人の心に響いた。
同盟会はできたものの、組織内での革命戦略を巡る路線の対立は激しかった。中国というのは地縁、血縁が強い風土だけに、地域間の葛藤が表面化する。孫文は、出身地の広州、隣の広西両省で革命政府を樹立し、それを拠点に勢力を広げると主張したが、長江流域出身者は、辺境すぎるとして反対する。「古来、革命は、武昌(現在の武漢)から起きてきた。長江の中流域を押さえるのが速い」と譲らない。「北京で武装蜂起するべきだ」との主張もある。
孫文は、「清朝の政治体制が問題であって、満州人だからと言って革命から排除すべきでない」と、五族共和路線だが、中華思想論者は、「華人の国を取り戻す」と、満州人追放をうたう。
こうした異論を孫文は、強権的に封じたが、それがまた専制的だとして彼への反感を醸成していく。
それでも、彼が組織を維持できたのは、国際的な人的ネットワーク、とそれを生かす行動力だった。思いついたら動かずにはいられない。世界各地の華僑などを説得して革命資金を集める。必要とあれば、台湾総督だった児玉源太郎を訪ねて武器の支援を依頼したこともある。それがまた、孫文への批判となる。
「共和制の中国を」と主張する孫文も、組織リーダーとしては専制的に振る舞わないと組織が維持できない。リーダーが抱える根本的矛盾だ。
政権準備ないままの清朝崩壊
彼は広州、広西地域でなん度も武装蜂起を企てるが、その都度、挫折し、日本に戻った。1907年3月、清朝政府は日本政府に対して、孫文の国外退去を要請し、彼は日本を離れる。
孫文不在の同盟会は、長江革命論に大きく傾き、武昌、漢口地域で具体的な蜂起計画を進め組織拡大強化に努めた。清朝軍は動きを察知し、漢口の革命軍総司令部を急襲、革命軍は政府軍の武器弾薬庫を襲って蜂起した。計画外の闘争開始となったが、意外にもあっさりと政府軍は逃亡し、武漢三鎮は革命軍の手に落ちる。こうした動きを孫文は、アメリカ・デンバーのホテルで聞いた。リーダーを欠いたままの革命勢力は湖北軍政府を樹立し、清朝政府からの独立を宣言する。
その後、1か月の間に、13省が独立を宣言した。しかし、それぞれの省のトップは旧政府の派遣役人だった。機を見るに敏、流れに任せて清朝を見限っただけのことで、新政府を樹立する準備はまだ、だれも持ち合わせていなかった。革命軍のリーダーとして統率力、交渉力があるのは孫文しかいなかった。
帰国を急ぐ孫文には混乱収集の大役が待ち受けていた。これからが革命の本番、リーダーとしての力量の見せ所となる。 (この項、次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『孫文革命文集』深町英夫編訳 岩波文庫
『中国の歴史10 ラストエンペラーと近代中国』菊池秀明著 講談社学術文庫