反対派対処は説得より中立に導くこと
保守党政権発足後3年目で起きたフォークランド紛争は、首相のマーガレット・サッチャーにとって大きな転機となった。首班の座についたものの、英国経済は低迷から脱しきれず、労働争議が多発し、国民の心は離反しつつあった。総選挙まで一年の時点で、アルゼンチン軍が英国本土から大西洋を挟んだ遠隔地の英国領土である諸島への上陸・占拠に動いた。弱腰な対応を見せれば政権の命取りとなる。強硬策に打って出て敗れようものなら、責任を問われ、これまた退陣は免れない。危機である。
サッチャーの意思は固い。彼女は回顧録のフォークランド紛争の場面の冒頭で当時の決意を明確に示している。
「侵略者が許されないということ、および国際法が武力の行使に優越することを原則として守ろうとしていた」
事態から逃げずに軍事力、政治外交力を挙げて戦うという原則だ。問題はそれを国民にどう納得させるか、そしてどうすれば確実に勝てるかということにあった。こう書いてくると、ロシア軍の突然の侵攻に対処しているウクライナ大統領・ゼレンスキーの判断、行動と重なるのだが、いかがだろうか?
反対派を中立のままに置く一計
紛争勃発時、サッチャーの与党・保守党内での地位も万全なものではなかった。閣内も各閣僚の間で主戦論への反対論は根強い。外交交渉を通じた妥協で戦いを未然に防ぐのが主務である外務省が、宥和(ゆうわ)論に傾くのは世の常だが、国防大臣でさえ、「機動艦隊(タスクフォース)をひとたび出撃させれば、引き返せない。空軍支援も届かない遠隔地では戦っても勝てるという保証はない」と、暗にサッチャーに自重を促すほどだった。
出撃か否か、重大決定を下す閣議がぶっ通しで続く。重大決定だけに閣内の全員一致が原則だ。そこでサッチャーは一計を案じた。強硬な反対論者に口火を切らせては、流れは傾く。彼女はテーブルの閣僚席を順繰りに回り、真意を個別に確認した。彼らの意見の大半は、「途中で引き返すぐらいなら、艦隊を出港させるべきではない」という曖昧論だ。出撃すべきか否かの判断を避けて、「首相の判断に任せる」との中立的立場に落ち着いていく。
荒れることが予想される会議で、反対派をあぶり出しその説得に時間をかける愚を避ける知恵だ。一任を取り付けることで閣内にしこりを残すこともない。参考になるエピソードだ。
軍事は軍人に任せ、首相は決断するのみ
そこへ、偶然か仕組んであったのか、会議室に海軍幕僚長で「提督中の提督」の呼び名も高いヘンリー・リーチ卿が、国防相に連絡事項があるとして飛び込んできた。制服姿のプロ軍人の登場で会議の流れはサッチャー有利に変わる。
サッチャーはリーチ卿に、「もしフォークランド諸島が侵略されたら、解放のためのタスクフォース艦隊を急ぎ動員できるか」と具体的に聞く。リーチ卿は自信を持って答える。「できます。週末までに(この日は水曜日だった)。海軍は事態に対処できるかではなく、対処しなければなりません。私がアルゼンチンの提督なら、直ちに母港へ引き返すでしょう」
「鉄の女」の決断は早い。リーチ卿に出航準備を急げと命令し、リーチ卿は約束通り、日曜日に艦隊を出撃させた。
国内には、「サッチャーは勇ましいが、軍事に関しては素人である、しかも女性として戦争を指揮できるのか」との懸念が残った。「海軍大臣まで務めたチャーチルが第二次世界大戦を勝利に導いたのとはわけが違う」と。
しかし、サッチャーは軍事に無知であることを自覚していた。「無知の知」である。プロの軍事判断には口を挟まなかった。すべて立案は軍人に任せた上で、「フォークランド諸島は決して手放さない」との信念のもとで政治的判断を下してゆく。そして戦いに勝った。かえってプロを自認するチャーチルが軍人の判断を叱り飛ばして生じた軋轢を生むことはなかった。勝利の後、国民は圧倒的なサッチャー支持へと転じる。
この手法は、この後8年間の任期中に、アイルランド紛争、炭鉱ストの収拾、規制緩和などの内政問題で大きな成果を生み続ける原動力となった。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『サッチャー回顧録(上・下)』マーガレット・サッチャー著 石塚雅彦訳 日本経済新聞社
『マーガレット・サッチャー 政治を変えた「鉄の女」』冨田浩司著 新潮選書
『戦時リーダーシップ論』アンドルー・ロバーツ著 三浦元博訳 白水社