近代デモクラシーの誕生
われわれが当たり前のようにその中で暮らすデモクラシー(民主主義)という政治形態は、18世紀のアメリカ建国とともに生まれた。その語源はギリシャ語の「デモス(人民)から来ている。第16代アメリカ大統領のエイブラハム・リンカーンが南北戦争の最中にゲティスバーグで行った有名な演説の一節、「人民の、人民による、人民のための政治」がその理想をみごとに言い表している。
1830年代に米国各地を視察旅行したフランスの思想家、アレクシ・ド・トクヴィル(のちにフランス外務大臣)は、古典的名著『アメリカの民主主義』の中で、その新政治誕生の背景を、新大陸国家の歴史的、地理的特殊性に求めている。旧大陸的な身分制度を引きずらず、身分的自由と平等な個人の出現に注目している。
アメリカ国務省は、民主主義の原則について、「市民が直接、もしくは自由な選挙で選ばれた代表を通じて、権限を行使し、市民としての義務を遂行する統治形態である」と規定して選挙の重要性を強調している。米国外交は、「自由」と「公正な選挙」を実施する国家との連携を掲げて、「専制国家」との対決を基本としている。
平等な自由
トクヴィルが、誕生まもないアメリカでの地方の見聞で着目したのは、「平等な自由」の存在だった。「あらゆる市民が自由に政治に参加し、各人が平等な参政権を持つ」。その原点を彼は、まず身近な「タウンシップ(自治組織)にある」と見抜いた。そのタウンごとの自治に市民が参加し、それが積み上がってカウンティ(郡)の意思決定に、さらにステート(州)の政治決定につながり、究極は、国家(連邦)の意思となる。
法律家でもあったトクヴィルは、司法面での面白いことに気づいている。訴訟の結果が国の行政に与える効果だ。「なんでも訴訟を起こす」という訴訟大国としてのアメリカのありようは当時も同じだったらしい。権利侵害を訴える原告の個別の意思さえも積み重なれば、政治(議会)を動かし立法意思につながり、行政に反映される。権力集中を防ぐ手段としての三権分立が見事に国の方向性決定に結びついている。
垂直統治から水平秩序へ
ことほど左様に、建国直後からアメリカでは、理念としての民主主義が根付いていたことに驚かされる。主権在民、民主国家の優等生として自負する日本だが、ややもすると、意思決定は、一方的に政府から降りてきて国民はそれに隷属するのが美徳とも考えがちである。
地方自治についても、予算も政策も、最上部の国(政府)から県へ、そして市町村へ下ってくる日本と、下から積み上げるアメリカとは真逆の発想だ。背景には強い意思を持つ「平等で自由な市民」の存在がある。
建国以前からアメリカでは、母国の身分制度の呪縛から逃れた自由民たちが広い国土を西へ西へと開拓してきた。彼らは自らの安全と権利を守るため、まずは身近なコミュニティとしてのタウンを民主的に運営し、近隣のタウン同士でつながって郡となり、州を構成し、連邦を築いてきた。連邦、州、郡、町は、縦につながるヒエラルキーの統治ではなく、主体的に水平に広がる秩序を構成している。
「自覚した自由な市民」が、国の意思決定に政治参加する機会が選挙である。アメリカでは、大統領選挙が11月5日に迫っている。それに先立ち、日本では、10月27日の総選挙投票日が目前だ。「政治とカネ」の問題に審判を下すのは、国民だ。
投票は、権利であると同時に、民主国家を動かす主権者としての義務でもある。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
(参考資料)
『アメリカにおけるデモクラシーについて』トクヴィル著 岩永健吉郎訳 中公クラシックス
『トクヴィル』宇野重規著 講談社学術文庫