経済危機下での大統領就任
今や、お隣の韓国は自他ともに認めるIT先進国として世界経済の推進力の一角を担っているが、その転機は20世紀最終盤に大統領に就任した金大中(キム・デジュン)による、時代を見越した大胆とも言える情報インフラ整備にあった。
金大中が大統領に就任したのは1998年1月のこと。当時の韓国は、タイのバーツ大暴落に端を発したアジア通貨危機(1997年7月)の影響をもろに受けて、外貨準備高が底をつき、国の経済は、IMF(国際通貨基金)の管理下に置かれるといいう屈辱の中にあった。
80年代以来、「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる高度成長を遂げ、「日本に追いつき追い越せ」をスローガンに経済立国の道を爆進してきた韓国国民の自尊心はズタズタになっていた。国民は、経済成長を指導してきた軍事政権の流れを汲む保守与党の経済失政を強く批判し、97年12月の大統領選挙で、野党指導者の金大中を大統領に押し上げた。
金大中は、軍事政権時代に反政府活動を理由に死刑判決を受けながら復活した不屈の政治家として根強い人気を誇っていたが、経済運営能力は未知数だった。国民は、彼に、危殆に瀕した経済の復活を託した。だが、金大中が就任した98年のG D P(国内総生産)は前年比で9.8%のマイナスを記録し、失業率も2%から6.8%に跳ね上がっている。経済再生は容易とは思えなかった。
「第二の開国は絶対に世界の動きに乗り遅れない」
この政権交代期に筆者はソウル特派員として、金大中の大統領選挙準備過程を取材している。何度もインタビューを行い彼の冷静な情勢分析力と行動力に惹かれていった。
彼はある時、事務所でこういった。
「21世紀は、情報通信技術の時代になる。それに備えれば、韓国は世界の5大国の仲間入りを果たすことができる。19世紀の開国時に韓国は、産業化に出遅れ、日本の植民地とされた。第二の開国では、情報通信がカギを握る世界の動きに乗り遅れてはならない。今がチャンスだ」
あとで知ることになるが、金大中は、野党の大統領候補の地位を勝ち取る熾烈な政治闘争に追われる中で、日米の情報通信関係者からのレクチャーを繰り返し受けて、政権獲得後の政策の柱である「IT(情報通信技術)立国構想」を練り上げていた。
出遅れた日本
大統領就任後の金大中は、矢継ぎ早に情報通信インフラの整備に乗り出す。
1999年4月には、「創造的知識基盤国家」建設を目指す「サイバー・コリア21」構想を打ち出し、2002年までに世界のIT国家のベスト10入りを果たすとの具体的目標を示す。韓国は前政権時代から、ブロードバンドの整備を目指し、光ファイバー通信の全家庭への普及を目指していた。
金大中の構想は、そのブロードバンド構築を急ぐとともに(2001年に達成)、それを利用した産業の生産性の向上と新しい産業の創出にまで踏み込み、国として関連人材とベンチャー企業の育成にも投資した。
金大中の大統領就任を見届けて帰国した筆者は東京で、世界を股にかける情報通信事業に詳しい投資家から日本の新時代対応の遅さについての嘆きを聞いた。「韓国では、与党、政府にブロードバンドの最新情報を伝えるとすぐに反応があり、動く。ところが日本では、一応聞いておきましょうで終わってしまう。日本は大丈夫か」。
韓国では、政策の枠が固まると、大統領のトップダウンで直ちに動く。さらに情報産業政策は、情報通信部(省)が一括推進する。経済産業省だ、総務省だ、官邸だと縄張り争いをしている日本とはスピード感が違う。
その結果が、現在の日韓の情報産業技術の格差につながっている。日本は、金大中が「第二の開国」と呼んだ、情報大国争いで10年は出遅れたのだ。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com