日本大衆文化開放
隣国同士である日本と韓国の外交関係は、1965年に国交正常化を果たした後も、ことあるごとに歴史認識問題をめぐりぎくしゃくし続けた。1998年に第15代大統領に就任した金大中(キム・デジュン)は、就任早々、両国関係の改善に取り組んだ。北朝鮮をめぐる安保環境、経済苦境の脱却のために日本の協力を必要としていたことも要因だったが、関係改善への強い意志は、早い時期から表明していた。
大統領就任の3年前、ソウル特派員として赴任した筆者は、ソウル市内の自宅で在野指導者だった本人から聞いた。
「日本は、過去の植民地支配について正しく認識する必要があるが、韓国側も、戦後民主化が進んだ日本が戦前とは違うということを正しく理解しなければならない」。前段は、韓国の政治家なら誰でも強調するが、後段については、かなり思い切った発言で驚いた。「相互理解」が両国関係の基本にあるべきだという未来志向の発言だった。
就任した彼は、相互理解のために、映画、歌謡曲など日本の大衆文化を国内で解禁することを推し進めた。当時、韓国内では、日本映画の上映、ドラマの放映、歌謡曲・ポップスの視聴も禁止されていた。「悪しき日本文化に毒される」という理由で、金大中の姿勢は、興業界からも強い反発を生んだ。「日本映画、歌謡に業界が席巻されてしまう」との懸念だ。
彼は国民に向けて言った。「心配することはない。韓国の大衆文化は強い波及力を持っている。逆に日本で韓国ブームが起きるはずだ。自信を持つべきだ」。
こうした韓国側のアクションに、日本政府も首相の小渕恵三が積極的に応え、1998年10月に訪日した金大中との間で発表した日韓共同宣言にも盛り込まれ、相互交流を軌道にのせた。
韓流ブームが相互理解を深める
その後、起きたことは、金大中の予想を超えていた。テレビドラマ「冬のソナタ」を皮切りに日本で韓流ブームが巻き起こり、日韓相互の訪問客は、爆発的に増える。2023年には、日本を訪れた韓国人客数は、696万人、日本人の訪韓客は232万人で、ともに訪問外国人のトップとなっている。
それまでの日韓関係は政治に翻弄されてきた。互いの対日観、対韓観は、国民の相手国に対する実感というより、ともすれば、政治の動きに左右される観念的なものだった。韓国内で反日感情が高まると、呼応するように嫌韓感情が高まる。嫌韓感情がまた、反日感情を呼ぶという悪循環だった。相互訪問客数が増えることで、等身大であるがままの相手国への理解が進む。政治的に対立局面が生じても、国民レベルでは信頼感を基礎に交流は阻害されない。歯止めがかかる。それこそが金大中が狙った相互理解の効用だ。
1990年代、日韓関係が悪化した時期にソウルでタクシーに乗って、日本人だとわかると運転手から「降りてくれ」と乗車を拒否されることもあった。今はそんなことはあり得ない。日本人の食卓に当たり前のようにキムチが上り、韓国では空前の日本食、アニメブームだという。芸能、食事といったサブカルチャーの力は想像以上に大きい。
確かなビジョンと行動力
韓国の政治家にとって、日本敵視政策をとる方が国民のうけがいい。しかし、金大中の発想は違った。敵視政策と相互理解のどちらが国にとって得るものが大きいか、国益にとっての得失を考えてビジョンを組み立てる。そして持ち前の行動力で実現してみせる。
その能力をみせるもう一つの例がある。韓国という国の存続に関わる対北朝鮮政策だ。北朝鮮を軍事力で圧倒して崩壊させるというのが伝統的な統一政策だった。金大中は逆転の発想で臨んだ。吸収統一ではなく、連邦制統一を掲げていた。強硬策ではなく、経済援助で北朝鮮の牙を抜くという宥和(ゆうわ)策だ。旅人のコートを脱がせるのに有効なのはコートを吹き飛ばす北風ではなく、脱ぎたくなるほどの太陽の照りつけだという、イソップ童話の「北風と太陽」になぞらえて「太陽政策」と名付けられた。
南北境界線近くの開城(ケソン)地区に南北出資で工業団地を造り、その売り上げを北朝鮮に回す。また、境界線近くの名勝地・金剛山を観光地として開発して、韓国からの観光客を送り込んで外貨を落とさせる。
保守派からの猛反発を押し除けて、両政策は進められ実現したが、北朝鮮は、のちに中断する。金正日(キム・ジョンイル)政権が、「これは、伝説のトロイ戦争で、古代ギリシャが兵士を忍ばせて贈り物として送り込んだ木馬ではないのか」と警戒したのだという。大胆さと実行力はトロイの伝説並みだった。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com